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空き缶、背負って

ダイビングを趣味にしていたことがあります。水ン中に潜るダイビング、スキューバダイビングです。もう10年近く潜ってないので、モグリのダイバーなのですが、なんで急にそんなはなしをしだしたかというと、一度ナイトダイビングと呼ばれる、夜間のスキューバダイビングで訪れたことのある小さな漁港に寄ったからです。

小さな港町へ

真鶴駅を海にむかっておりていくと福浦という小さな港町があります。ここはもう真鶴町ではなく、湯河原町です。この小さな港町を訪れたのは、こちらへ来るまえに真鶴町町立の中川一政美術館へ立ち寄ったからです。中川一政は平成3年(1991年)97歳で亡くなるまで、齢80を過ぎて尚、エネルギーに満ち溢れた迫力のある絵画を描きつづけた、日本の洋画壇を代表する画家のひとりです。真鶴町にアトリエを構えた中川一政の作品には、この福浦を描いた作品が沢山あります。

すぐそこなので、福浦に寄って行きましょう。と、上げ膳据え膳、クルマの助手席にただただおとなしくおさまり15分足らず、真鶴駅前を下っていくと、その中川一政の絵の題材となった福浦の町です。

記憶の糸 福浦

クルマがすれ違うのがやっとという、せまいせまい坂道を行くと、すぐに目の前に小さな港が開きます。湯河原・福浦の港です。

昨夜からの雨がすっかり上がって、真鶴の三ツ石を眼下に眺めていたときには強くさえ思えた日差しも、またいつしか重たい雲にかくれがちとなり、海もわずかに鈍色に。どことなく、いま目にしたばかりの中川一政の「福浦」に重なります。

定休日の食堂と、ダイビングショップと、猫と。

干してある海藻と、ダイビングジャケットと、片付けをしながら談笑するダイバーと。

はじめて訪れたつもりが、防波堤に座り潮騒の音をBGMにそんな光景を眺めているうちに、ん?はじめてではないな?来たことあるぞ?となって、冒頭のダイビングのはなしへとつながります。

風をあつめて

確証を得るまでには、随分かかった。というのも、帰宅してダイビングの記録、ログブックを見返してみるまで、あの光景が本当に福浦なのかどうなのか、はっきりとわからなかったからです。

自分で自分の記憶がわからない。それもそのはず、ログブックには2006年8月23日とありますから、13年前のことです。「ふくうら」とあるのが「福浦」だということは、このダイビングがただ楽しむファンダイビングでなく、ナイトダイビングの講習で、それを受けたのは「真鶴だった」という記憶ははっきりしているからです。

昼間の下見のダイビング。昼メシを食べて夜までぼんやりしながら、金目漁の漁師さんと交わした会話、FMから流れてきたはっぴぃえんどの「風をあつめて」のカバー曲。8月も終わりにさしかかる23日。幼なじみ3人で秋風に吹かれながらの「風をあつめて」が、なんだか、ずっと、こころに残っているからです。

そんなスキューバダイビングも、この21本目を最後に足が遠のく…というよりも、すっかりやっていません。たぶん沖縄でのダイビングのときに残圧ゼロ、つまり酸素がなくなるのを経験したからです。海ンなかで酸素がなくなると困ります。苦しいです。死にます。重たいボンベを背負っていても、レギュレータをくわえていても、なぁんにも出ていやしません。壁とキスするのと同じです。空き缶背負って潜るのはもういやです、海の下には都はございません。

かくして、ストレスダイバーになるまえに海を離れてしまいましたが、あの日の潮風と「風をあつめて」は、ずっと夏の終わりのキレイな思い出です。13年前か。そっか、25歳のわたしか。そう思うと、それだけでキュンとします。

今回の写真

・福浦港 カバー
箱根の山かな

・中川一政美術館
真鶴町町立の美術館
ゆっくりとじっくりと
福浦、駒ケ岳の美しさ

・福浦
暗くても不機嫌ではない
眠気ただよう小さな港町

・ログブック
記録のありがたさ

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書くことは、落語を演るのと同じように好きです。 高座ではおなししないようなおはなしを、したいとおもいます。もし、よろしければ、よろしくお願いします。 2000円以上サポートいただいた方には、ささやかながら、手ぬぐいをお礼にお送りいたします。ご住所を教えていただければと思います。