見出し画像

障害者になるか投薬と理学療法をするかの選択を唐突に告げられた話       

定期検診がやってきた!

 定期診断が待ち遠しい。骨は動かさなきゃ治るわけでガッチガチの拘束器具生活2ヶ月目に突入した。当時はコロナ禍なので本来は1ヶ月単位で検診があるそうです。他に尿管結石の泌尿器の治療経過検診も平行して通院もあった。歩行補助器具を使うまでもなく自宅では過ごす事ができるようになった。中年おっさんの緩んだ脂肪すべて重力が腰や背骨に圧迫するのでそりゃ痛い。それでも、投薬や骨が損傷して当初の痛みは和らいでいるのが実感できた。

 通院するにも費用かさむのです。都度1万円を超える。これは想像以上に高くつく、車イスと介護ケアのサポート要員をつけて来院するように主治医からの指示がありました。市役所に相談したら病気怪我の運搬の場合と老人介護などの運搬は全く同じではないとの事。扱いが異なると言われたのです。患者等搬送事業者の資格かつ、患者等搬送乗務員適任者が付き添わないといけない。運が悪いことにコロナ禍で要員は一定数常時確保したいので、民間の事業者と有資格者を紹介された。介護タクシーと要員費用、それと運賃が掛かるのでした。

 当たり前といえば当たり前。車イスで外科病人を輸送するわけで、自立歩行ができない痛みを抱えている怪我人なのであらゆる所で自己責任の社会になってる。貯金が目減りする。私の場合は契約してる保険は意味をなさなかった。何の為の保険だと。。心理的負担は増々増えていった。

親切丁寧な運搬で私は病院に到着した。

 相変わらずものものしい感染チェック。コロナ禍で増々感染者は増えていっている時でした。幾度の隔離段階を踏んで外科病棟の前にたどり着いた。
以前にも増して病院内は殺気立ってるように感じた。世間でのコロナ不安よりも現場のピリピリしてる空気は誰でもわかる気がしました。それほど、当時は感染者が拡大が広がってる時だったのです。本当に医療従事者の皆様には頭が下がります。

立体軌道装置モドキで中釣り

50日ぶりの先生と挨拶を交わし、診察やチェックが始まった。
いくつものMRI、レントゲン他様々なマシンに身体を突入した。

主治医だけでなく、複数の神経科医や数人の医者がチェックなどをしてる様が見えた。前回の時よりも長く話し混んでる。不安だけが募っていった。

 診察が終わりかと思ったら、今度は車イスのまま別の部屋に運ばれた。
漫画「進撃の巨人」の立体軌道装置のようなものに私は固定され、部屋で空中ブランコのように中釣りされたのです。重力がかからない常態なのかわかりませんが最初は不思議な感覚でした。様々な角度にされ、ギブスのようなコルセットをつけて中釣りにされる。その都度痛みが走る。大人なのに「痛った!」「いってえええええええ」の絶叫が響く。先生達は私は囲んで角度や触診をする。ここは痛いですかーー。この角度はーーー。指の先、足のつま先までマジックで印をつけられ、得体のしれない機械につながれた針をさせれていく、もう、おっさんが半裸で宙吊りでフランケン・シュタインのような地獄絵図。サーカスの空中ブランコ、中年おっさんが半裸で宙に舞うのです。

引用元写真中央:日本美学研究所 PHOTO by Reraizure 
URL:http://bigakukenkyujo.jp/blog-entry-108.html

数分したら後に先程撮影したと思われる私の断面図、背骨、骨盤の3D画像が写つしだされた。

ショック。もう、ショックしかなかった。
骨の縦スジが前回よりも骨が治ってるものの、神経みたいな影にいくつも電子ペンで英語で色々記載されてるのがわかった。

これはアカンやつや。。
心臓の鼓動が早くなっていく。

唐突に宣告させられる。

最初の主治医の診察部屋に移動したら、様々な契約書置かれてる。
先生の説明が唐突に始まる。患者は心の準備はできていないのです。

1 これから神経を溶かす処置をするとのこと。
2 後遺障害の説明
3 リスクの説明
4 直ぐにサインをください。
5 順調に回復してる朗報。
6 運動経験など簡単な心理的アンケートも記載もされた。

上記のような流れで進んだ。
※誤診もなく、順調な治療計画であることを名誉のために追記しておきます。

 医療の進歩で現代では手術しなくても骨の中にある神経などは注射で溶かすことができるらしいです。また、損傷した神経はあきらめる、軟骨は加齢で戻らない。生活に影響はないとのこと。但し、後遺症は残る可能性がある。そのままだと車イス生活、障害3級程度になる恐れがある。それを回避する選択だと。今すぐサインをしなさいという流れ。もう、パニックを超える恐怖が襲う。一方の医師陣営は、全て予定調和のように段取りよく用意周到である感じしました。

 私は顔面蒼白になってるのを見て、主治医は笑顔で大丈夫!失敗の確率は数パーセンしかないと勇気づけてくれた。あっけらかんと勇気づける。(その数%何なのさ。。。)

こうも付け加えた。
貴方はラッキーです、リハビリに耐えるギリギリの年齢である事を付け加えた。軟骨は戻らないが溶かした神経は骨が成長と同時に刺激を与え続けるまた戻るとのこと。さらに姿勢矯正とリハビリをすれば背骨は自立できると。激しい運動などはできないが日常生活に復帰できるはずと。何でも老人などは神経の一部を溶かすって治療は本来できない。私の場合は損傷した神経は繊維レベルのもので薬剤で消えるらしい。神経科、外科、内科?いろんな専門家のベターな治療な希なケースなそうだ。

引用元:)『マトリックス』(c)1999 Village Roadshow Films (BVI) Limited. (c)1999 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

 サインをするしかなかった。私は卑しい人間だ。障害者になりたくなかった、障害を持たれる方には申し訳ない気持ちですが、見下してるのでもありません。それでも、障害をもつ身体になりたくないと思ってしまった。半世紀近く健常者として生きてきて、残りの人生を車イスで過ごすって言われた拒絶するしかない。先生達の判断、処置を信じるしかないのです。

 本人に意識がある場合は、医者(病院側)が即時に決断ができるように考慮する暇を与えない気配りだと思います。医者陣営のサインを待ち構えてる様子。もう、早くサインしてってウズウズしてるのが手にとるようにわかった。

 この記事を読んでる方に伝えたい。絶対躊躇はするな!です。
医者は最善の選択を用意してくれてる。色んな選択がある中で処置や診療計画を練り込んでくれている。危険やリスクがあっても迷わず選べという事。
翌日や別の日程調整はしない

 ストレッチャーに載せられ、処置室に移動となった。めちゃくちゃデカい注射が準備されていた。もう工事現場にあるような掘削機みたいな注射。

私:「あれデッカいドリルみたいな注射器を打つんですか?」
先生達:「気になります?局部麻酔してるので痛くないですよ。。」
先生B:「少しでも動いたら大惨事だから、吸引でいこう。。」
看護師:「ゆっくり呼吸して、深呼吸し続けてださいね・・・・」

半裸のおっさんは吸引麻酔であっさり眠りについた。

 目がさめたら、処置室の片隅のベッドにいた。3~4時間経過してた。正確には時間を覚えていない。ぼんやりしてる。背中のくぼみあたりにガーゼが貼ってあった。おそらく、背骨骨盤あたりに「あのデカい注射針」がささった後はわかった。思いっきりキズ後と擦り傷らしきものを感じる事ができた。

 コロナ禍であり入院は見送る判断がされていた。本来なら入院させる予定だったらしい。処置も注射程度なので入院せずに帰宅も可能とのことで、次回の検診や諸注意事項など色々な書類を持参させられ会計を済ませた。大金の請求なのでカード払いで更に凹んだ。致し方なし。

待機の間は「命の選別」トリアージに関して思いふける

 辺りはすっかり暗くなっていた。介護タクシーを呼んで1時間近くスマホを眺めながら、感慨深く送迎ロビーで時間を潰した。救急車が到着するたびに病院に殺気が一瞬でわかる。それほど、コロナ禍の渦中は物々しい常態でした。パンデミックの中で私の病気なんて当事者しかわからん苦しみでしかなく、怪我症状のヒエラルキーが明らかに存在し、患者としてこのパンデミックの怖さを実感しました。何よりも中国の武漢で病院でのパンデミック騒ぎ映像が頭に残ってる。残影という奴です。外科病棟から移動したら、武漢での医療現場の衝撃的な動画とマスコミが大騒ぎして「医療崩壊」の危険を繰り返し番組が放送されていたので、この刷り込みがあったので私は病院のいる事で戦慄を覚えた。今ここで感染したらどうしよう。。このような恐怖がよぎったのです。あの時点、世界中の病院はウィルスと戦う戦場のフロントラインに他ならない。

難しい問題。議論、法整備論が先行もより後回しでいい。私見、倫理は変則、世相も変則、情勢も変則。変則が多い要素が含むものは白黒決着しちゃいけないケースの代表。

 様々な意見が有ると思いますが、あの時点での医療関係者は本当に命を賭して仕事にあたり、物凄い恐怖と心労が重なりながら患者と職責に向き合っていたと思います。私の治療時期はワクチンもなければ重症化の患者数が増えていって頃です。幸い首都圏では多くの医療関係者の努力で一般患者が治療を享受できたと思っています。大学病院クラスの規模でしたが、ものものしい張り詰めた空気がすごったです。推察でしかありませんが呼吸器系の病棟は凄い重い空気と「命のやり取り」や「命の選別」がされていたのかもしれません。会計のエリアでさえ息をするのも重く、怖い空気感があったのです。

 そんなパンデミックの渦中で医局の判断、治療計画を念密に練って頂き本当に感謝しかなかった。車イスを漕ぐ力をいつもより強く握りしめて送迎タクシーに向かっていきました。本当に私は障害が残らないのか。。この時は不安よりパンデミックの恐怖が勝っていて一刻もこの場所から離れたかった。

長文最後まで読んで頂きありがとうございます。

お詫び
本文内に障害者を蔑むような表記がございます。真摯をきちんと把握し
心情の吐露として記載させて頂きました。差別、侮蔑を意図しておりません。

■ 次回の予定 ■
やっと、記事タイトルのリハビリ編に突入。
前置き長すぎ。は言わないでね。
地獄はまだなのかーーい。

■ 補足情報 ■
骨まで到達する注射ってゴッツいです。見たらビビります。
親知らずの注射と同じかそれよりデカい。

□□□ 医療従事者の皆様 □□□
コロナ禍の中、本当に凄い過酷な状況下で対応して頂きましてありがとうございました。心から御礼申し上げます。

※ノンフィクションですので、病気経過ばっかり。。スマソ。
闘病で闘ってる人と共にあらんことをお忘れなきように

「May the Force be with you」 
フォースとともにあらんことを。。(笑)名言やね。


ただのオッサンの備忘録ですが、応援コメントなど頂ければ励みになります。