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移住した人のインタビューを受けたお話

昨日の夜に、以前、創業塾みたいなのを受けた仲間の1人から「移住した人の話が聞きたい」ってことで、インタビューをしてもらった。

インタビューというよりもお話会みたいな、雑談会みたいなそんな感じをオンラインで。

目的は、ある場所のブランディングをするために実際移住した人の話を聞いてみたいとのこと。必要な人に届けたい情報が何なのかを、拾い上げて磨いて形にしていく。(のだと思ってるけど違うかな)

そんな小さくても大きなことに微力ながらお手伝い。めっちゃ楽しいお手伝いだった。
だって私にもとても気付きがあった。

移住するきっかけや、移住して変わったこと、よかったこと困ったこと、人間関係などなど。話が進んでいく中で自分が求めていた生活が、実は密かにかなっていることがわかった。

移住する前にはできなかったこと、マインド、夫婦の在り方や、子どもへのまなざし。

それらが着実に変わっていたのだ、と気付かせてくれる対話だった。


移住する前は本当に待てなくて、我慢が普通だと思っていて。それこそ「こうあるべき」だと思われているからそうしていた、ということが大きかった。みんなが守るべきルールを守っているのに、守らない人に対して理由もわからず憤ってみたり。そもそもそのルールを守っていないということだけなのにすごく怒ってみたり。私は守っているのに何であの人は...というように。

そう、怒ってた。

他人を理解しようとせず、ただ与えられた現状に不満を持ちながらも不満を言えない自分に、不満を言えている人を羨む気持ちをずっと抱えていた。

別にだからと言って精神的にそこまで苦しんでいたわけでも、辛かったわけでもないけど、それが「しっくりこない」の正体なのかもしれない。


私は直感と感覚で物事を進めることがよくあって、
「しっくりこない」
「ぴんとこない」
と思うものには違和感を感じたら受け入れることがなかなかできない。

でもその感覚は割と間違っていないことの方が多いように思っていて、なんとなく、が1番心地いいように思える。


そしてその、なんとなく、に文句も言わず真摯に向き合ってくれるパートナーに信頼を置いているし、尊敬もしている。
なんとなく大丈夫だろう、と思わせてくれるこどもたちも信用しているし信頼している。

心配していないわけではないけど、それは過保護とは姿が違くて、ただそれは「あなた」としてみているからなのだ、と言ってくれたことが対話を終えた今、深いところにスッと入ってきている。

そしてそんな選択をして、そんなマインドでいられる夫婦関係は、ゴロゴロと転がっているものではないことに驚いたことも事実。

移住を夫が言い出すと進むケースはよくあるけれど、妻が言い出すと旦那が渋る、だから「移住ができてすごい」ということらしい。

私からすると夫婦ってお互いに対等で、平等だから、意見が食い違えば対話が必要だし、納得いくまで話したい。

渋っておけば、話をしないでおけば、その話もいつか終わるだろうと思っている男や女がいるなら、それは相手を甘くみているか、相手に甘えているかのどちらかで、先の将来に絶対に破綻すると思う。だって寄り添ってないから。
寄り添われたり心配されたり尊敬したりされたりがない夫婦って何のための?と疑問。

移住するにはお互いがお互いをリスペクトして、柔軟に物事を捉えて、なにごともしっかり向き合うことが大事なんだな。
そしてそれはこっちにきて生活している中で、実はすこし、でも着実に自分たちができていることなんだな、と気付かせてくれた対話でした。

良い機会をありがとう!
いつでもまた、私はこんな話をしたいと思っています。