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介護保険物語・外伝 第2回     ~生産性の向上?~

どうも!社会福祉法人サンシャイン企画室の藤田です。
「介護保険物語・外伝」ファンの方々、大変長らくお待たせしました!
本編より外伝が長い物語として『カムイ外伝』が有名ですが、あんな風になりたいような、なりたくないような、絶妙な味わいを湛えつつある本外伝。今回はなんとわが森藤部長、介護の世界から生産性の向上を叫ぼうとしておられます。
御用とお急ぎでない方はひとつお立ち寄りください!

アラタ新に現る

「介護業界でもこのところ”生産性の向上”という言葉が使われ始めていることに気がついていましたか?」

アラタは通常前置きなしで要点だけを述べる癖がある。そして疑問符をつけて話しかけておきながら相手の返事を特に待つこともなく自説を続ける癖も。

「まあこの言葉は介護業界に限らずとも、なんらかの事業展開を考える上で欠かせない概念ではあるんだけど」

そう言いながらアラタは目の前のパソコンを叩いて厚労省が発表した該当ページを開いてみせた。その中の「介護分野における生産性向上の支援・促進のスキルについて」と題した項目から張ってあるリンクをたどる。そこにある「生産性向上の取組を支援・促進する手引き.pdf」をクリックしてその中の「はじめに」を少しだけ読んでみせた。

生産性向上運動は今から120年前、アメリカ合衆国自動車産業で始まった。日本でも、1955年から高度経済成長期の1960年代にかけて、自動車産業および家電産業を中心に導入され、広まっていった。<中略>生産性向上によって生ずる低価格化によって家電製品や自動車などが広く普及し、人々の生活が便利かつ豊かになっていった<中略>他方、”(略)価格低下”が主たる目標とならない、介護、医療、教育、文化などの分野における生産性向上を考える際は、それぞれの理念を踏まえなくてはならない。わが国の介護保険の理念は、制度発足以来、要介護者の尊厳と自立支援である。我々は、介護現場における生産性向上の取組を、労働力削減のためではなく、働き甲斐を高め、それが介護サービスの質の向上につながることが目的と捉えて作業を行った。

「この中で、生産性の向上については、労働力削減のためではなく、働き甲斐を高め、それが介護サービスの質の向上につながる、とはっきり述べている。しかし、現在いろんなところで見られる生産性の向上についての言説をみると、つまるところはICTを利用して業務を減らすことで介護職員不足を切り抜けようとしている、というふうにしか見えない。でもこれってただの”業務の効率化”でしょう?それを”生産性の向上”って。なんか寂しくならない?そこで!」

そう言うと、アラタは自分の顔の前に右の人差し指を一本立てて、ニンマリと笑った。なんで笑う?とわたしは思う。

「そこで介護業界における本当の”生産性の向上”ってやつを考えてみたい!」

そう言いながらアラタは音を立てんばかりに立ち上がった。

「ここで質問です。介護業界でわたしたちがお客様に提供しているものはなんでしょう?」

立ち上がったアラタは座っているわたしを見下ろすようにそう言った。わたしはそれに答えようと口を開けたが、もちろんアラタは待ちはしない。

「そう。もちろん”介護サービス”ということになる」

そう言うとアラタはきっと 上を見上げた。

「だがしかし。その”介護サービス”を提供するには、それを提供する、つまり実施する実体がなければならない。では”介護サービス”を直接実施する実体とはなにか?」

わたしはつい口を開けてしまう。しかし今回もやはり声を発することはできなかった。

「そう。もちろんながらすなわちそれが”介護職員”である。とすれば?そう。この介護職員こそが介護事業における”商品”ということになりませんか?」

もう金輪際口を開くまいと決めるわたし。そんなわたしにまったく頓着せず続けるアラタ。

「ならばならば。この”介護職員”という商品は、どのように生産されているのでしょう?」

アラタは反応のないわたしをしばらく眺めていたがすぐに気持ちを切り替えるようにして続けた。

「介護職員という商品が生まれるそのルートはいくつかあります。①福祉系の専門学校に入って介護を学ぶ。②初任者研修や実務者研修などを通じて介護を学ぶ。さらに③まったくの無資格のまま介護事業に飛び込んで実地で介護を学ぶ。などなど。しかし、こうしたルートを取ったからといってそれで自動的に介護職員という商品が完成しているわけではありません。とわたしは思います。ですが実際は、多くの事業所でこうした状態での商品をすぐさま現場に投入しているようです。ご存知のように、そうせざるをえないぐらい人がいないですからね。あちらもこちらも」

アラタはそう言って口の両端をキュッと上げてみせた。

「しかしわたしに言わせれば、生まれたばかりの商品としての介護職員をそのまますぐに完成した商品としてお客様に提供するにはあまりにも品質に問題があり過ぎます。少し話がずれますが、最近、介護職員が入居者を殺害した、という事件がありました。この介護職員—犯人ですが—入居者に「バカ!」とかなんとか言われたようですね。でもそんなことでカッとなってしまうようでは、それだけでもう介護職員としての資質があるとはとても言えません。そしてそれよりも気になるのは、この職員と相手の入居者の日ごろの人間関係はちゃんと築けていたのだろうか?ということです。信頼関係が築けていないような人が介護のときだけ手を出そうとすると介護される側がそれに反発するというのはある意味当たり前です。この介護職員と相手の入居者との関係がどうだったかは分かりませんが、身体介護に携わる前に、その入居者の周辺介助—普段の挨拶・声掛け・日常会話や部屋の掃除、食事時の配膳・下膳など身体に触らない介助のことですが—を通じて、介護職員と入居者の間にしっかりした人間関係を築くことができていれば、こんな結果にはなっていなかったかもしれないと思います。しかしまあ、先程も言いましたが、施設としては人手が足りず忙しいから介護職員を採用したらすぐに入居者の身体に触らざるをえない直接処遇を担わせる、なんてことはよくある話です。ですからこの事件なんか、未完成の商品を提供してしまい、その結果、取り返しのつかないことが起きてしまったという典型的な例でしょうね」

そんな事件が最近あったことを知らないわたしは口を尖らせて同意した。

「いやな世の中です。とは言え、話を戻します。この事件を例として出すまでもなく、生まれたばかりの商品をそのままお客様に提供するのはリスクが大きいことがわかります。ときにはこの事件のように極めつけの事態ですら生じてしまう。そのくらいリスクが大きい。ですから商品をお客様に提供する前に、商品をなんとか加工・訓練しなければならない。ではどこで加工・訓練するのか?それはもちろん、介護現場です。他に方法はありません」

そう言いながら、アラタはわたしの前で右手を水平に曲げ、手のひらの部分だけを波のように動かした。その動きを見ていると、この人、どこかあらぬ世界と通信でもしているのじゃないか?と思わざるを得なかった。もちろんそんなことは口に出さない。

「ですから、介護事業所としては、新しく獲得した人材をそのまま戦力として数えてはいけません。それは単に材料を仕入れただけのことです。この新しく入ってきた人材を、りっぱな介護サービスが提供できる介護職員にまで作り上げていかなければならないのです。つまり、介護事業所というのは、単にその利用者に介護サービスを提供するところというばかりではなく、新しく入ってきた介護職員を商品として提供できるまでに加工・訓練するところでもあるのです。言いかえると介護職員養成工場でもあるわけです」

アラタはそこで大きく目を張るようにしてわたしを睨みつけた。わたしは反っくり返るようにしてそれに対抗する。

「ここでまたちょっと話がずれます。いいですか?みなさんは誰でもボールを蹴ることはできますね?」

みなさんと言われてもここにはわたししかいない。

「でもボールを蹴るだけではサッカーにはなりません」

アラタはさも面白そうににっこり笑ってわたしを見ている。

「ボール蹴りがサッカーになるためには、何のためにボールを蹴るのか?その目的が必要です」

アラタは右手の人差し指だけを伸ばしてわたしの鼻先で上下にゆらゆらさせる。

「その目的とは蹴ったボールを相手陣地にあるゴールの中に入れることです。しかも相手よりも多く入れないと、試合には勝てないのです」

そういえば今カタールという国でサッカーワールドカップが開催中だ。がんばれニッポン!

「介護も一緒で、介護って一見誰でもすぐにできるかのように思われがちなんですが、それはサッカーで言えば、ただボールを蹴ることができるっていうレベルです。それがすなわち素人介護。介護事業所に入ったにもかかわらず多くの介護職員がこのレベルのままでいるような施設は、サッカーで言うならJ3リーグにも入れないでしょうね」

アラタはそこまで言うと脇に出してあったお盆の中からチョコレート菓子を一つ適当に選び取り、袋を破り中身を口中に放り込んで唇をむやみに動かしながらむしゃむしゃとした咀嚼音をしばらく奏でていた。目は空中の一点をじっとながめて動かない。口だけが動く安づくりのアニメーションを見ているようだ。「我々は宇宙人だ」とでも言っているのかもしれない。やがて口の動きが止まり、アラタは続きを再開した。

「あらためて生産性の向上ということを考えると、以上のことから、そこで一番効いてくるのは、その介護事業所がもっている教育する力、育成する力だと思う。でも実はここのところに根本的な欠落・問題があるんですよ。それはなにかと言うと「どのような商品が理想の商品なのかがはっきりしていない」ということです。理想の介護職員とはどのような職員なのか?その理想像が明確ではないんです。だから教育する、育成すると言っても、その目標がないわけです。もちろん業務を遂行するためのノウハウ的なことはしっかり教えてはいると思いますが、ここでいう教育・育成というのはもっと人間性のあり方にも踏み込んだ部分において、こんな風になってほしい、という具体的なイメージがない、ということなのです」

アラタがそう言うのを聞いて、わたしは自動車メーカーに勤めている友人から昔に聞いた話を思い出した。その頃その友人のいた自動車メーカーは社会の不況のあおりをくらったのか、経営が左前になっていた。そこでそこの部長さんが友人の所属する部署に言ったこととは「なんでもいいから売れる車を造れ!」ということだったというのだ。どんな車を造るべきか、その目標、理想の車を構想することなく、ただただ結果だけを求める。施設がそこの介護職員に求めるものとどこか共通したものがこの話にはあるような気がした。

「施設としても、介護業務を一生懸命やってくれる良い介護職員ぐらいのイメージしかないのでしょう。介護職員の成長はその職員個人の課題であって、施設はそこにはノータッチでもしようがない、という考え方をしているのではないか。でもわたしに言わせると、それではいけないのです。介護職員の理想の姿を求めるという作業を介護職員個人の課題とするのではなく、施設として組織的に取り組まなくてはならない。そしてそのためには、そういった取り組みを陣頭に立って指揮する人物が必要です」

それはそうなんだけど、ではそんな人物、陣頭指揮してくれるような人物はどこにいるのだろう?

「そこのところを考えて見るならば、みんなの陣頭指揮に立つ人がいて、その人を陣頭指揮する人がいて、またその人を陣頭指揮する人がいて…ということになります。結局最後に陣頭指揮するのは経営責任者だという結論にたどり着くわけです」

そう言うと、アラタは右手の人差し指をまっすぐわたしの顔に向けた。その指には力がこもっていて今にもぶるぶる震え出しそうだ。

「とまあ、最初の引用のところで述べたように、生産性向上の取組を、労働力削減のためではなく、働き甲斐を高め、それが介護サービスの質の向上につながることが目的、ということを踏まえて論を展開すると結論はごくごく当たり前のものになりました。言ってみればわたしのいつもの持論です。でもそれではあんまりですから、少しだけサービスをしましょう」

アラタはあっさりとそのモードを変え、ごくリラックスした雰囲気で続けた。

「考えてみるまでもなく、介護保険上求められることを行っている限りは、生産性を向上させた優れた施設も生産性の低いデタラメ経営している施設も、基本的には報酬に変わりはない。つまり、どんなに優れた施設を運営していてもそのことで介護保険報酬を多く得られるわけではない、という事実があります。それは介護保険というシステムの性質です。だとすれば、敢えて努力し て生産性を上げていい施設にしようと考える経営者はあまりいないのではないか、ということにもなるでしょう。そこで厚労省に提案したい。「介護職員の離職率が低いことに対する加算」を作ってみてはどうか、と。というのも一般的に質の高い施設と介護職員の離職率は負の相関関係にあることがわかっていますから」

アラタは頭を少し後ろに傾け、横目で見るようにわたしを見ると、ニコッと笑った。どういうつもりなんだ。

「具体的には現行の『介護職員処遇改善加算』などの算定要件に介護職員の離職率の低さを追加すればいい。ある一定の離職率以下でないとこの加算は算定できないよ~、生産性の高い施設を運用すれば、益々儲かるよ~、てな感じ」

そこまで言うとアラタは勢いをつけて立ち上がり、クルッとわたしに背中を向け、そのまま振り返らずなにも言わず左の手のひらだけを振りながら去っていった。その背中には西部劇の最終場面で主人公が見せるような哀愁のようなものが……、あるわけもないか。

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