教育者は常に「きっかけ」しか与えられない ー人生論⑤ー
こんにちは😀
本日2本目です。
大学生の頃、塾講師をしていて気づいたことですが、どんなにうまく説明しても生徒が「やるぞ!」と思わない限り、成績が上がらないんだと思いました。
その「やるぞ!」というやる気をうまく引き出すにはどうすれば良いのでしょうか?
それは言葉であったり、行動であったりするのです。
教師が「俺について来い」と言うように、生徒が自分を信じてくれない限りは、「前に進む勇気」が踏み込めないのでしょう。
だから、「〇〇先生のおかげでできるようになりました!」と言われても私はピンときません。
「君が頑張ったからでしょ?」
と思っています。私たち教師は学問を教えても、全生徒に一律のことを教え知識を広げることはできません。
でも私の中で「そう言わせたい」という思いもなくはないです。
それは私の指導実績になるわけですから、それが上層部や保護者の信頼と実績の獲得に繋がります。自分の出世に繋がるわけですから。
それでも私は「生徒にもっと自分に自信を持ってほしい」と思います。
私は浪人をしていわゆる「負け組」を経験し、浪人してもなお第1志望に落ちて自分が「弱者」だと知りました。
その弱者が見つけた「弱者の兵法」こそが自分のやり方なので、他の講師との差別点にすればいいし、その兵法が子供たちに「あと一歩が踏み込める」ための「言葉」を伝えられるようになれたら、と思います。
だから、たくさん同じことを言います。だから、くどく言います。私が張り巡らした言葉のネットが生徒のきっかけになれればと思っています。
このスタイルを信じてくれた人たちがみんな私を優に超えていっています。
その言葉を愚直にも信じた結果、成功してくれているのだから、私は自信を持って、「きっかけ」を与えることができると思っています。
学力は結局は自分がどれだけ正しく勉強するかであって、そこに教師は「向き合うきっかけ」を与えるにしか過ぎません。
「先生のおかげではありません。あなたの頑張りです。」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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