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徒然なる日々よ、今はまだそのままで


  徒然ってどういう意味か知ってますか?

することがなくて退屈なことだったり、そのさまの事で、あと手持ちぶさたって意味もあるらしいです。
  古典とかで出てくる「徒然なるままに」ってやつ、あれは言ったら「退屈しのぎに」みたいな事らしいです。そらツイートみたいな内容にもなりますよね。

  私と徒然は、ありがたい事にまぁまぁ遠い距離でいます。人生を姿見で見た時、「おっ今ん所結構ヤな退屈無く豊かな人生なんじゃない?」と思ってます。まぁ手鏡とかで細かく見ちゃうと粗は目立つとは思うんですけど、でもそれなりに生きてるつもりです。

そもそも徒然ってどうやって出来るの?


  すみませんさっき徒然と遠い距離にいるとは言いましたが、遠い距離にいるだけで見えてはいるんですよ。いくら好きな事をして生きてるとはいえ、好きなように満足出来るくらい出来てるかって言われればそうでは無いんです。好きな事をするにはやっぱり制限があるし、その上好きを還元する技術も必要なわけです。
  やがて、これらの「好きな範疇の中で出来ないこと」のもどかしさは、その熱を冷まし、ゆっくりゆっくり冷えながら「徒然」になり、そしてゆっくり固まっていくのです。

  そんな感じで、冷えた鉛のような「徒然」が、今あたしの隣にくっついています。たかが20数年の間だけであたしはどれくらいの鉛を生成してしまったのか……。これからどれくらい大きくなってしまうんでしょうね。怖い怖い。

  いつかこの鉛が、人生で役に立つことがあるのでしょうか。盾にも拳銃にも指輪にも枷にも、色んなものになりそう。
  まだこの重くてデカくて、鉄と塩の匂いがする鉛を加工する時は来なさそうなんですけど、出来るだけ鉛から解いて、あの頃の「好き」の気持ちみたいに、柔らかくて優しいものにしてあげられたらいいなと思います。


  最近、ちょっとその鉛が意図せず余計に増えてしまいそうだったのでTwitterのアカウントから離れているのですが、やはり創作活動をしていると、短くても文章にして還元したくなる時があるみたいです。
  でもなんかそれでいつも思想撒いたり、変な言い方したりするので、もっと気楽にその日あった嬉しかった事、綺麗だなって思ったものとかを書いたらいいのになとも思っちゃいます。枕草子みたいですね。これじゃ鉛草子ですけどね。


そんなあたしの鉛が解けて柔らかくなるその時まで、徒然なる日々よ、今はまだそのままで。



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