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私の音楽遍歴⑦師との出会い、、→一度目の都落ち、、

2004年、東京六本木にあったAll of me club..
深夜セッションがあるというので、参加しに行った。
店内には、人はまばらで、ロマンスグレーの
白髪のドラマーと、オーソドックスで小粋なプレイのピアニストとベーシストをバックに、
悠々とアルトを吹き鳴らすサックス奏者。
そのアルト吹きの名は、
大森明さんだった。

その時点までの僕のサックス奏者体験といえば、、イントロで出会う若手サックス奏者の
ゴリゴリ、イケイケなアグレッシブな演奏ばかり耳にしていた。
大森明さんのプレイの第一印象は、
『ん?酔っ払ってらっしゃるのかな?ゆるゆるだなあ、ヨレヨレだなぁ、、』だった。

しかしじっくり耳を傾けていると、、
『いや、違う、、なんか今までレコードで聴いてきたジャズのエッセンスが自然に、歌うように流れてくるぞ、、!なんだこれは?
でもこれは、、、ハッタリではない、、
本物のジャズサックスなんじゃないか
?』
と直感した。。

その日のセッションに参加して、、演奏し終えたら、、大森さんが一言、、
君は今時珍しいバッパーだねぇ、、貴重だから、そのまま貫いて頑張ってほしいなぁ』
と仰られた。。

そうだ、確かに僕はビバップが大好きだ、、
なにせジミーコブを聴いて始めたんだから、、

でも東京では、そんな古いスタイルは流行ってないし、もっとコンテンポラリーな激しいサウンドとヒリヒリするようなインタープレイが
出来なきゃ、、通用しない。。

そんな(いらない)コンプレックスを感じていた僕には、ありのままの演奏から滲み出るサウンド(かなり稚拙なものだっただろうが)を、的確に見抜いてくださった、、
ありがたかった、、

そのとき、僕は何も知らなかった。
大森さんが、ジャズレジェンド達に囲まれながら、70年代NYでサバイバルされてきて、
84年に帰国してからは日本を代表するビバップ
アルト奏者だということを、、

大森明
PROFILE プロフィール
1949年生まれ、福岡県出身。高校時代よりプロ活動を開始。その後、国立音楽大学、バークリー音楽院に学び、在学中からソロイストとして活躍。卒業後8年間のニューヨーク滞在中チャーリー・ミンガスのレコーディング「Me Myself An Eye」「Somethin’ Like A Bird」に参加。1979年、1982年のニューポートジャズフェスティバルへの出演を初め、数多くのミュージシャンとの共演を通して本格派ジャズメンとしてのスピリットを学ぶ。83年バリー・ハリス、ロン・カーター、リロイ・ウイリアムスをバックに初リーダー作「To Be Young And Foolish」を発表。84年帰国後「Back To The Wood」ではレイ・ブライアントを、「Trust In Blue」では、エルヴィン・ジョーンズをフィーチャー、2001年発表の中牟礼貞則氏をフィーチャーした「PRIMEMOMENTS」は「スイングジャーナル」誌のジャズディスク大賞にノミネートされる等、専門家筋の間でも高い評価を受けている。2006年、New York 録音作「Recurrence」、2009年、前田憲男氏との「Matin’ Time」、2015年、Hod O’Brien との「ManhattanSuite」と、常にハイクオリティーなストレートJazz を追求し続ける。

大森さんとは、同郷、福岡出身
住んでいた場所も新宿と代々木で違く、
その後、気さくに声をかけてくださり
、僕も畏れを知らぬ若者だったからか、
演奏をお願いしたりしていた、、

それでも、当時の僕は精神的にかなり
参っていて、、2005年3月、、
ボロボロな精神状態のまま、
東京生活を切り上げ、、
追いかけてきてくれた彼女を捨ててまで、
一旦福岡に帰ろう、、そして自分を立て直そうと、、
まあ、簡単に言えば、
ストレスに耐えきれず、、
逃げ出したわけだ、、
挫折。。

だが、福岡には、もう1人、頑固なまでに
ビバップを貫く大先輩のギタリストが居た。。
彼は僕の狂気を見抜いて、、なんとかモノにしてやろうと、、待っていてくれたのだ、、

そうして2005年春、僕はたった2年で、
福岡の地に帰ってきた。

空港から実家に帰る前に、僕がやったことは
大学のジャズ 研の練習室の近くに、家賃24000円のアパートを借りることだった。。

狂気。
しかもその闇は、、自分が自覚していたより
はるかに深く、厄介なものだった、、

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