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#4時の雫_水の音(3/3)

水の音を愛でる

 水の流れる様子だけではなく、音を鑑賞する行為は『徒然草』にも読み取れます。よく知られる第55段では次のように記しています。

家の作りやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比(ころ)、悪(わろ)き住居(すまゐ)は堪へがたき事なり。深き水は涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。

『徒然草(第55段)』

水の音を捉える

 ここに水の流れる音は直接、記されていませんが、深い水よりも浅く流れる水が良いとされるのは、その動的なきらめきだけではなく、流れる音がより鮮明になるからではないでしょうか。
 そう考えたとき、かの芭蕉の句にあらたな新しさが見えてきます。

古池や蛙飛び込む水の音

 従来、この句は「山吹」と「蛙」の組み合わせが古典常識であったものを「古池」と変えたところに新しさがあると指摘されています。無論、その点は正しいと思います。しかし、このようにみてきますと芭蕉の新しさとは、「流れる」水の音ではなく、「止まる」音、一瞬の静けさのなかに消えていく音に新しさがあると考えられます。
 とまれ、今は「水無月」ではありますが、季節のうつろいの中で「水」の音をあらためて捉え直してみたいと思いました。冒頭(水の音1)にふれましたが夏至が過ぎると秋も近くなります。最後に百人一首に入集された歌をひいておきます。

風そよぐならの小川の夕暮れは
みそぎぞ夏のしるしなりける(藤原家隆)

百人一首


言葉として現れるのは「風」ですが、今年は「水の音」がよく聞こえてくるような気が致します。
                      (時の雫_水の音 終わり)

エッセイは毎週金曜日に発信します。


【参考文献】
日本の美学編集委員会(1998)『日本の美学 水 流れとうつろい』27 ぺりかん社

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