前髪を切った日
前髪を切った。
古い自分を切り落として、少しずつ新しい自分に生え変わる、
髪を切るとそういう気分になれる。
誰にでもなりたい自分というのがあって、誰もが、そういう自分に近づかなければというプレッシャーと日々闘っているのだと思う。
髪を切るみたいに、自分の嫌な部分は切り落として、代わりになりたい自分が生えてくれば良いのにと思ったりする。
自分以外の誰かの前で、本当の自分でいることって案外難しい。
知らないうちになりたい自分になろうって背伸びしていると、それはなおさら難しい。
別に誰にも彼にも本当の自分を見せなくたって良いのかもしれないし、というかそれで良いんだけど、
そうして自分にしか正直になれない誰かが、死の餌食になったりする。
そういうことがあると、人にも自分にも同じくらい優しくしなきゃと思う。
私は餡子と、ソーセージと、球技と、誰かの前で本当の自分でいることが苦手だ。
自分の悩みや苦しい気持ちを人に正直に吐き出せる人を見ていると、心底羨ましいと思う。
もちろんどこでも誰にでもそうする必要はないけど、誰かに話すということは、誰にとってもそれだけで苦しい時の治療薬になる。
というか、人間は一人では生きていけないように創られているのだと思う。
そこまで分かっていても、私は自分の気持ちを誰かに話そうとする度に、喉に何か引っかかったみたいに言葉が出なくなる。
本当の気持ちを話したら何て言われるかわからない。嫌われるかもしれない。迷惑だって思われるかもしれない。自分のことで相手を悩ませたり悲しませたりしたくない。
そういう気持ちで頭がいっぱいになる。
何様?って話だけど、同じように感じている誰かがいたら、ちょっと言いたい。
自分が苦しんでいる時までなりたい自分でいようとする必要はないし、
そういう時くらいとことん自己中でいたってバチは当たらない。
本当の自分を誰かに見せるってすごく勇気のいることだけど、
勇気を振り絞るだけの価値はある。
自己中になること、人に迷惑をかけること、これがどうしようもなく苦しい時のサバイバルキット。それを使う権利は誰にでもある。
なりたい自分になろうとすることなんていつでもできるんだから、誰かにちょこっと迷惑かけた後で始めたって遅くない。
私は人に迷惑かけつつ、かけられつつ生きていきたいなあ。
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