ボードゲーム考察:ゲームシステムと初心者について
Sunnyです。
ボードゲームしていた時を思い返しながら、考えた。
とある重量級ボードゲームをしていた時の話。
3人でやっていて、僕ともう1人は割とそのゲームをやっていて、もう1人はやったことあるけど、久々のプレイ。
2試合やって、1試合目が経験者、2試合目が僕が勝ちという結果になって、その時もう1人の久々にプレイした人に言われたこと
「経験者に、ルールブックを見てる人が勝てるわけない」
「プレイヤーのレベル感を揃えた方がいい」
(多少言葉尻は変えてるけど、同じ内容)
その時は、僕はこう話しました。
「経験者はたしかに有利かもしれない、けど何回もやってる人が確実に勝てるわけじゃない。その経験よりも、勝ちにつながるコンボやつながりを見る力が大事で、それはゲーム経験の話ではない。良いゲームは経験者とそれ以外の差が埋まりやすいように出来てる」
みたいに答えたんですけど、今考えると非常に大切な問題だよなって思ったんで再考してまとめます。(ちなみに、この友人とは旧知の仲なので、関係が悪化とかはないです)
僕/私なんかじゃ〜と言われるとゲームを作る身としては悲しいなと思ったので、どういうゲームを作るべきか考えてみます。
そもそも、ゲームにおいて面白さってなんだ?
色々あると思うけど、僕はドラマ性なんじゃないかって思います。
ゲームというのは、勝てるのがわかってる勝負は面白くなくて、負けるのがわかってる勝負はつまらない。
だから、「勝ってるような盤面でもひっくり返される可能性」「負けてても1位を狙いにいける可能性」
そういう現状の盤面を変えることが出来る可能性がドラマ性なのかなと。
「負けていて、最後の最後に競り合ってギリギリで負けたとしたら」くやしくても、またやりたいと思えるし、あとちょっとで届くかもしれないみたいな可能性があれば、それは面白いゲームなんじゃないかって思います。
その逆に、「勝っていても、最後の最後でもしかしたら負けるかもしれないところで勝てたら」とても嬉しいし、またやりたいと思える。
それがドラマ性。
言い換えるなら再現性の低さ。可能性がいくつもあって、毎回違う盤面になって、いろんなルートがある。
そういうゲームが、面白いゲームでかつ良いゲームなんじゃないかって思います。
なぜ、人とボードゲームがしたいのか?
これもいろいろあると思うんですけど、僕は楽しみの共有だと思っています。
「このゲーム面白かったんだよ、一緒にやろうよ」
「このゲーム面白そうじゃない?やってみよう」
遊ぶことによって、楽しい時間を他の人と共有することに喜びを覚える、みたいな。
なので、上の話と繋げると、「ドラマ性を共有したい」からボードゲームをやる。
「ゲームの面白さを共有すること」が手段で、「楽しい時間を共有すること」が目的。
翻って、さっきの問題
「経験者に、ルールブックを見てる人が勝てるわけない」
「プレイヤーのレベル感を揃えた方がいい」
って友人は言ってくれたのも勿論一理あると思うんですよ。
でも、じゃあ毎度毎度、同じ経験者のみでゲームができるかといえばそうでもないし、同じゲームの面白さを共有したいってのもあって、いろんな人とも遊びたいわけですよ。(経験者視点の話)
となると、必ずしも同じ経験者のみでゲームができるわけではない。
って考えて、じゃあ初心者や初級者の人に勉強してこい!っていうのも無茶な話ですし、経験者が接待プレイするのもおかしな話ですし。
(接待を好むプレイヤーもいれば、嫌がるプレイヤーもいるので、一概には言えない)
となると、全プレイヤー(経験者や初心者問わず)にその責任というか、「面白さを見出させる」みたいな行為を求めるのって違うんじゃないかなと改めて思いました。
じゃあ、どうする?
ゲームシステムにこそ、そのドラマ性を含んでいるべきなのではないか?と僕は思います。
経験者や初心者問わず、面白いと思えるゲームシステム。
重量級だからって、「これは初心者には厳しいか〜」とか
軽量級だからって、「これは単純だからな〜」とか
そういうのプレイヤー経験やプレイヤースキルに依存しないゲームが面白いゲームでかつ良いゲームなんじゃないかって思います。
というわけで、ゲームをしていて、その経験から、「こういうゲームを作りたいな」と思いました。
札幌出身、福岡育ち、東京住みのSunnyと申します。 働きながらボードゲームデザインをしています。いただいたご支援は、ボードゲームデザインに使わせていただきます。