見出し画像

「知る」ことの大切さ|47キャラバン#41@福島

初めまして!
大学3年生の晴野と申します!晴れた野原で"晴野"です!!
今回、REIWA 47キャラバン#47 in福島に1泊2日で同行させていただきました!!

そもそも『REIWA 47キャラバン』とは?
「ポケットマルシェ」代表の高橋博之さんは、東日本大震災から10年の節目を迎える、2021年の3.11に向けて、改めて人間とは何かを問うために、現地の参加者との対話を通じながら、47都道府県を行脚する「REIWA47キャラバン」を開催している。詳しくはこちら

初めてのnote投稿…
いつかやろうと思ってズルズル来てしまったのを今回、『REIWA 47キャラバン』のレポートを書くことになったのをきっかけに始めることができました!
拙い文章力ですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

(一晩泊まった民宿近くにあった震災当時のままの建物の床の太陽。
“晴野”だけにこの写真がこの2日間撮った写真の中で一番お気に入り。)

はじめに

私は高校生の時にとある病気になり、
食で命を失いかけ、逆に食を通した繋がりや喜びのおかげで命を取り戻した経験があります。完治というのが曖昧な病気なので、今も完治はしていないかもしれません。
でも、私はその病気をきっかけに"命"や"食"を人一倍大切にするようになりました。
「人はいつ死ぬかわからない。」
そう思い、少しでも興味を持ったこと、やってみたいと思ったことには失敗を恐れず…物怖じをせずに挑戦するようにしています。
そんな私は、朝、毛布を被って寝ぼけた目でTwitterを見ていたときに、たまたま高橋さんの47キャラバンに同行したい学生を募集しているツイートを見て、「あ、行きたい!今しかできないことかもしれない。このチャンス二度とないかもしれない。」「生命や食に興味ある!話を聞きたい、」と直感的に思い、「どこでも行きます!」と私は手を挙げました。

https://twitter.com/hirobou0731/status/135698380798799

「思い立ったが吉日」をモットーに突発的に参加した私は、一緒に47キャラバンに同伴していた他の学生にくらべ、農業や生産者、東北について全然知識がなく、今回の旅で頭に入る情報量が多すぎて頭の中で整理するのが大変でした。でも、知識がないなりに感じたことを自分なりに素直に記そうと思います。

恥ずかしいのは"知らないまま"でいること。

私は無知だ。
大学生になり、知らないことが多すぎることを自覚しつつ、周りの友達に色々なことを教えてもらっている。でも、"知らない"ことは恥ずかしくないと思っている。むしろ、恥ずかしいのは"知ろうとしない"こと。だから、私は興味を持ったこと、少しでもやってみたいと思ったことには挑戦して"知る"ようにしている。やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいいから…。きっといい経験になるから。

初めて足を踏み入れた"被災地"

車内にて、「あ、オセンドだ。」と隣の学生さん。
オセンド?→汚染度?(汚染具合かな?)→汚染土(な、なるほど)
私は漢字に変換して理解するのに時間がかかった。一つ前で示したが、それくらい無知だ。
車内で行き交う東北の地名や一次産業に関することに対しても、ちんぷんかんぷんだった。
東北大震災からもうすぐ10年経つのに、南相馬市までの道中では、まだ除染作業が続いていた。コロナコロナと世間では騒がれているけれど、東北には10年前に起きた災害の痕跡と向かい合っている人がいるのだ、と知った。

↑車内から見た"汚染土"

福島県民は全国に散らばった

小高へ向かう道中、3.11の日の記憶を4人の学生それぞれ話した。みんなしっかりその日の記憶はあった。でも、高橋さんが「次の日何曜日だったか覚えてる?」と言ったら、みんな分からなかった。人間だから記憶はどんどん薄れていくもの。だからこそ、伝えていかなければいけない。高橋さんによると、原発で避難した福島県民は日本全国に散っているそうだ。
千葉県出身の私の中学にも1人福島から来た男の子がいた。最初は「福島から来た=かわいそう、気を遣わなきゃ」なんてことを思ってしまっていた。でも、そんなことを忘れてしまうくらい、その男の子はクラスにも学校にも馴染んでいた。今ではSNSでしか繋がっていないが、以前、避難区域となってしまった実家の様子をInstagramのストーリーでみた。人ごとに思えず、心がきゅうっとなった。友達になったからこそ、湧き出た感情だと思う。
この男の子とは反対に、当時福島から来ただけでバイ菌扱い、差別された人もいたそうだ。
そんなのおかしい。
私たちは、福島で原発や地震、津波の恐ろしさを体験した同年代の人をもっと同等に見るべきであり、逆に貴重な友達だと思って、その人のことをより理解するべきだと思う。
だから、全国に散らばった福島県民は、
原発の恐ろしさを知らない人にもっと原発の恐ろしさを嫌じゃない程度に伝えてほしい。
同じことが日本で二度と起こらないように…。
記憶がなくならないように…。

村上海岸の防潮堤

"被災地"ではない、福島県南相馬市"小高"だ!

「農家さんなんていう名前の人はいない。」
「外国人なんていう名前の人はいない。」
「障がい者なんていう名前の人はいない。」
多分、高橋さんの話を何度も聞いている人は
必ず一度は耳にしているはず。

被災地ときいて何を思い浮かぶだろう?
可哀想?高齢者しかいない?
もしそんなイメージをもっていたら大間違いだ。
この日高橋さんの公演がひらかれた、
「小高ワーカーズスペース」に集まる大人たちは、夢や希望に溢れていた。

都会だと満員電車の中、疲れ切った目をしている人が何人いるだろうか、
アパートに1人でスマホと睨めっこしている人が何人いるだろうか、
ここにはキラキラした目が眩しい大人の方がたくさんいた。
"被災地"じゃなくて、"小高"。
ふるさとを一からつくろうと集まった人や、
この地を気に入り新しい事業をしようと立ち上がった人、どこでも受けることのできるオンライン授業になったことを活かして小高にやってきた大学生もいた。
「生きたい場所で好きなことをして生きる。」
もし、都会、いや日本中のあらゆる場所で、
好きでない場所で好きでないことをしている人がいたら、一度ここを訪れて、一杯交わして人生について語りあってみてほしい。

"サフラン"の花見たことありますか?

小高ワーカーズスペースに着いて、まず、お話を聞いたのは、アスパラ農家の江川正道さんだ。「増加している耕作放棄地を自分たちがどうにかしても、使う人がいなければ意味がない。」そう考え、自分たちでやろう!と、江川さんはアスパラ栽培を始めた。ただ作るだけではなく、畑がもう一度いろんな“色”に溢れるような取り組みを心がけている。
野菜の“色”に、人の“色”といった感じに。

みんながアスパラガスの生命力と初夏の姿に驚き興味関心が湧く中、私は1人名刺の裏の左にある"サフラン"が気になって仕方がなかった。

アスパラの話がひと段落ついたので、「サフランも作っているんですか!?」と聞いてみた。
そしたら、すごかった。また、知らなかったことを知れた。
某飲食チェーン店のドリアやスペイン料理のパエリアでよく見る黄色いサフランライス。しかし、サフランの花は、なんと!紫色だったのだ。
思わず見惚れてしまうような綺麗さである。


写真にある紅いめしべ(サフラン)が、ひとつの花からわずか3本しか摘み取れず、手間と技術がいるため、世界で最も高価な香辛料のひとつにもなっている。特に、江川さんのサフランは色、香り共に、さまざまなシェフに高く評価されている。これについて、江川さんは、日本人が古くからもっている丁寧で几帳面な所が評価されているようで、すごく誇らしいと話していた。
このサフランの綺麗な薄紫色の花により、より一層、畑に“色”が戻り、人の“色”も戻り始めたという。素敵な循環だ。

さて、人も着々と集まり始め、初めて聴くのでドキドキしながら、47キャラバンのメインである高橋さんの講演が始まった。
印象に残ったことを2つほどチョイスして述べようと思う。

↑噂の裸足高橋さん

ちゃんとってなに?

よくちゃんとしなさい。ちゃんとしなきゃ。
と言いがちではないだろうか。
私は、中高生の時、部活と勉強に追われ、視野の狭い窮屈な人生を送っていたように思う。多分、ちゃんとしなきゃ、真面目に生きて頑張っていなくちゃいけないと思い込んでしまっていたのかもしれない。"ちゃんと"とは何か…。
高橋さんは、「みんなから外れないこと」とおっしゃった。
なるほどと思った。
大学生になり一人暮らしをし、様々な人と出会い、自由の中で、私はいろいろな生き方を知ったように思う。視野が広がり、心が豊かになった。
みんなから外れたことをしてもいいんだと思う。だって、みんながみんな同じだったらつまらないから…。それでも就職活動を通して、言ってしまいがちな"ちゃんと"という言葉。
みんなから外れたって私の人生…縛りのような"ちゃんと"という言葉から少しずつ解放されたいものだ。

↑ちゃんとしてない?高橋さん。

人は"生産手段"

今の社会、ほとんどの仕事は誰がやってもよくて、「君じゃなきゃダメだ」ということはないのではないだろうか?
"人間"は人と人の間と書く。
しかし、人はコストとされ、人と人の“間”もコストとされ、機械化が進み、“間”の人間関係がどんどん希薄になっている。ロボットやAIにはできないような、"自分がやることに意味がある"こととは何なのか就活生だけに考えさせられた。会社に使われる手段、道具のようにはなりたくないと思った。
講演の後の質問タイムで、私は「何になったらいいかわからない。」と相談をした。
そしたら高橋さん、「何も考えるな!!」
「……。」何も言葉が出なかった。考えるなと言われても考えてしまう。
でも、ただじっとして悩んでいるだけではダメだと思った。

実は、この後、高橋さんにYouTuberを提案された。
YouTuberになれる気も、なる気もないが、この後出てくる吉田さんの卵で簡単な動画を作ったので、もしよろしければご覧ください(笑

南相馬を玉ねぎの産地に…

2日目、大手商社マンからベンチャー企業、経営コンサルタント、その後農業コンサルタントとなった豊田さんの元へ向かった。豊田さんは、震災後、南相馬市の農業復興のため、玉ねぎの産地化を提案した。
なぜ、玉ねぎか…。
玉ねぎは放射性物質を吸収しにくく、農業の担い手が不足するなかで機械化による大規模農業が可能であるからだそうだ。野菜によって放射線物質の吸収具合が違うとは驚きだ。

農業コンサルタントとして、
玉ねぎの産地化のストーリーを提案したものの
やる人がいなかったため、豊田さん自身が農業を行うこととなった。
北海道や長崎に修行もし、2016に南相馬へ移住。
2017には豊福ファーム開設をし、
「自分の手で玉ねぎの産地化をさせたい」という熱い想いで試行錯誤しながら玉ねぎを育てている。
今はお休み中らしいが、南相馬市の伝統の祭り「相馬野馬追」の要素をいれた、野馬土手カレーの提供もキッチンカーでしているそうだ。食いしん坊の私は、玉ねぎ丸ごと1個使ったカレーは絶対に食べに行こうと心に誓った。

↑豊田さんの名刺の裏

初めて見た羊飼いの世界

最後に向かったのは、アニマルフォレストうつしの森の吉田さん夫婦のもとだ。
ここでも私は無知を発揮する。
「"トチク"できる数が限られているから…」
トチク…トチク?屠畜!

"屠畜"とは家畜など動物を食肉や皮革などにするために殺すこと。

野菜はあればあるだけ収穫して食べることができる。
しかし、羊は違う。牛や豚もそうだが、1日に屠畜できる数が限られているのだ。
だから、むやみやたらに子どもを産ませることもできない。
この時、全く知らない羊飼いの世界を知った。


短い時間だったが、吉田さんご夫婦は熱心にお話をしてくれた。羊に関する話は私には難しかったけれど、吉田さんご夫婦がとにかく面白いことは分かった。
特に、奥さんの睦美さんの「道を逸れてからが本番だ。」と「面白くないから離婚しようと思ったこともあった。」この2つの言葉が印象的であった。
羊飼いになるということは、道を逸れた人生なのかもしれない。でも、その分生きがいはより一層感じるはず…睦美さんにとって、ここからが人生の本番なのだ。
そして、離婚の危機を乗り越え、睦美さんもまだ知らない引き出しをたくさん抱える、とにかくユニークな旦那のカズさん。
カズさんは、この先、羊の肉でバングラディシュカレーを作りたいと言っていた(スリランカカレーかも)。また、うつしの森をもっとニッチに攻めしていこうともしていた。音楽ライブやらなんやら…

私はここで、斬新かつ新しい離婚の理由を知りつつ、羊の世界に少しだけ足を踏み入れたのであった。

お土産にもらった卵。(上から会津地鶏、アローカナ、烏骨鶏)
食べることが好きな私は1日一個楽しみながら食べた。

卵のお礼をしつつ、カレーができたら吉田さんの元に改めて伺いたい。(福島の人はカレーが好きなのかな…)

最後に

私は今回の47キャラバンを通してたくさんのことを知った。日本にはまだまだ知らない土地があった。そして、いろいろな生き方があった。「生きたい場所で生きる」本当に素敵だなと感じた。

もうひとつ新潟大や福島大の学生と2日間過ごして感じたことがある。それは、"東京"や"東京の学生"に対する壁のようなもの。
彼らはそんなことないと言うかもしれないが、東京の大学生は少し怖いと言っていたために、私に見えてしまった「壁」。
私は地方の田舎者だから、地元のような田舎の良さも東京のような都会の良さも、どっちも理解していて、どっちも好きだ。
たしかに最初は東京なんて、得体の知れない人の多い混み込みしたところ。というイメージがあったけれど、たくさんの人がいるからこそ、いろんな生き方やアイデアがたくさんあり、地方にも活かせることはあると思う。
少なくとも私は東京の大学に入り、たくさんの人に出会って成長ができた。
そして、地方には地方の自然がたくさんあり、心が豊かになるような…生きている幸せを噛み締めることができるような環境があると思う。
互いにいいところ悪いところを理解しあい、いいとこどりができたら、もっと日本はよくなるのではないだろうか…
"生産者と消費者"
"都会と地方"
それだけじゃなくて、
"地方の学生と東京の学生"も
もっともっとごちゃ混ぜになってほしいと私は感じる。

旅の締めくくりに…

私が感じた東京と地方の壁を少しでもぶち破りたい!と思い、
新潟大学の1人の男子学生を白河まで連れて行った。(正確に言うと一緒に来てもらった。)

なぜ白河か…。

大学で同じゼミにも関わらず全く喋ったことのない男の子が白河出身で白河ラーメンを激推ししていたため、私はずっと食べたくてたまらなかった。
せっかく福島行くなら、食べたい!彼に会いたい!と思い、47キャラバン前日に彼(白河にしばらく帰省中)にLINEをして一緒に白河ラーメンを食べる約束をしておいた。
いくら福島出身で福島にいるとはいえ、ピアスもあけて洋服もオシャレなまさに東京の学生。東京の大学生は怖くないことを伝えるチャンス!
3人が3人ともほぼ初対面みたいなものだが、それぞれ趣味も考え方も違うような3人が共に美味しい白河ラーメンを食べる。こんな楽しいことはない!ひとりひとり経験も違えば、将来に対する考えも違う。それでも楽しかった。
まさに"ごちゃ混ぜ"だった。


別れの時に新潟大学の彼は「近々東京行きます!」と言った。
少しでも"壁"が低くなったのかなと思う。
東京に来た時は最大限にもてなしたい。

最後の最後の最後に、貴重な経験を与えてくださった、高橋さん!
ありがとうございました!
私は高橋さんのような熱い大人が大好きです!
2日間に出会った方たちにまた会いに行きます!
会いましょう!

自分が「知る」だけで終わってはいけない。
ひとりでも多くの人に私の感じたことが伝わりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?