食糧難(デス本当は)の時の食事マナー。

脅迫概念への抵抗として。

スマートに生きよう、とか。
要領よくしましょう、とか。
上手に生きよう、とか。

ここ数日の私には、
それに抗う生き方を見出したくて
仕方がない。

泥臭さがなぜ悪いの?
あっちつっかえ、こっちつっかえの
体当たりの生き方がなぜ問題なの?

美徳とはなに?

自らのペンネームにもある綺麗さに、
通り一辺倒の「お」上品さは必要?

見た目はカッコいいけれど、
今の現実の私には解せなくて。

一言で言うと
くうだらない。

特に「食べ方」、この一つ一つに品を求める。

文化といえばそれまで。

だけど、世界を見渡したら。

食べ物が行き渡っていない世界が存在するのに
そんなこと言ってる場合?

その文化におけるこだわりで

飲食業で働いていて、
サラリーもらうから作業は行うけれど、
その行いで満足する世界で安穏としていいの?

泥まみれになれずに、
堅苦しさを追求する世界観が
自分として情けないのに、
それでないとおまんま食べれない環境が
非常に悔しい。

経験値としては
それぞれその文化には臨みたいけれど、
それでおしまいにしたくないし、
それよりも違う世界を
前提にすることを黙認する世界を
私は欲しくて欲しくて仕方がない。

一介の飲食店に居て
マナーのイロハを追求する文化はわかるが、

それだけで全世界、
と、のたまう中にいるのは、
「経験を積むためだけのもの」と割り切ること以上に

目標として突き詰めるようで
身が滅びそうなほど苦しい。

新しい世界、
飲食店レベルでも
食べ物を分かちあう世界になること、

食べ残しだとかを一考する価値観の共有を
私の1望みにしたい。

決してお金がないと見れない世界とか、
偏りを普通とする世界が
最終の最果ての地だ、極上のものだ、とかは
言いたくも思いたくもない。

ツンデレは、
ツンツンをもうヘドが出るほど
お腹いっぱいいただいたから、、。
これからはデレデレ(と見える、通り一辺倒の一般の世界)だけの中の上、で、むしろマナーをもとめたいデス。

身近にそんなヘドでなく泥を分かち合う人、
やっぱりいないのかなぁ?

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