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長距離通勤と私

急にこのテーマで書きたくなったので書いてみる。
ちょうど1年前まで、8か月ほど片道2時間半かけて通勤していた時期があった。
元々は平均位の通勤時間で通勤していたけれど、
結婚を機に職場から遠い場所に引っ越したことで通勤時間がかなり延びることになった。
完全に自分の決断によるものだったのだけど、
今振り返ると面白いこと、楽しいこともあったけどやっぱり大変だったなあ、と思う。

勤務地が2か所あり、もう片方の勤務地にある部署に異動すれば
問題なく通勤できる距離だったので、言い方を変えれば異動さえすれば解決するということもあり、その時点で仕事を辞める選択肢はなかった。
事務職経験だけじゃ転職でPRできないのではと思った(思い込んでいた?)こともあるけど、
就職活動で一生懸命頑張って掴んだ今の仕事、女性が総合職で働くには良い環境だと思えていたからこそ、このタイミングで辞めるのは惜しかった。

「女性が総合職で働くにはいい環境」・・・
ここまで書いて、「女性が」と書いてしまっている時点で私もどこかで無意識に性別に役割を認識してしまっているのかもと感じたが
この先、出産や子育てをすることになったとしても先輩方を見ていて理解があると実感できている職場だったので、このタイミングで職場を離れることは惜しいなと思った。

異動するのを待ってから結婚することも考えてはいたけれど、
たまたま部署で休職や退職、産休などが重なり、
私が希望して異動が叶うような状況ではなかった。
結局、「まあ、結婚してから考えようか」となり(笑)、長距離通勤する日々が始まった。
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経路としては乗り入れ路線のおかげでほぼ座っていればつく状態。
2時間半をどう使うか、色々試して、まずは行きも帰りも1時間ずつ睡眠時間に充てることにした。
仕事をして帰って食事・風呂…とやっていくと、寝たい時間がすぐにやってくる。残業があれば当然、就寝時間が遅くなる。
体調を維持するには食事も風呂も削るのには限界があるし、電車でも補えるものとなれば睡眠かなと思い、座れる日は(9割方座れた、これは救いだった)1時間程度寝るようにした。
時々船を漕いで周囲の方に起こされたり、肘でぐっとされて怖い思いもしたが…(笑)。
残りの1時間ちょっとは折角なので勉強に充てた。
読書していた時期もあるが、結構なスピードで読み終わるし(笑)、
2時間×5日勉強すれば資格くらい取れるのでは⁉と思い、TOEICの勉強を始めた。
ちなみに、この勉強時間が功を奏してTOEICの点数は過去最高になった。
TOEICは割と小さめの本も出ているし、リスニング対策は通勤時間にぴったりなので、合っていたのだと思う。

毎朝5時に起き、朝食、メイクなどを済ませて6時過ぎに家を出る。
8時半ごろ職場の最寄り駅につき、歩いて職場に到着。
家のほうが東側にあったので、毎朝2時間後の天気を考慮して傘を持つか決めた。
それでも何度か、最寄りまでの雨対策で傘と長靴を履いていったら勤務先につく頃には晴れていたり、帰りは西から東へ雨雲と一緒に帰宅するので、ずっと雨の中帰宅することもあった(笑)

毎朝電車に乗る顔ぶれというのはだいたい同じになるので
謎の連帯感というか、「あ、今日もいるね」みたいな雰囲気になる。
朝の電車で仲良くなったのか?おしゃべりしている人がいたり、中には私の勤務地とほぼ同じところまで一緒の大学生がいた。
夏休みと春休みに見かけなくなるのと(笑)、
その子が持っている鞄に大学名が入っていたので大学生と認識していたが、
今も通っているのかな。
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大きなターミナル駅を経由する経路だったので、お惣菜コーナーに疲れた日はお世話になった。
疲れてなくても、ショーケースに並ぶお菓子や食事を見るだけでちょっと元気になったりした。
当時は家に帰ってから下ごしらえをしたり準備をする元気がなかったので、慣れない賃貸のキッチンで1時間から2時間かけて1週間分の下味冷凍を仕込み、毎日帰ってから焼くか煮るかして食べていたので、こんなにきれいな、美味しいものが(そして高い!)世の中あるんだなって(笑)。
勿論、限界な日は外食もしたけれど、帰宅時間に行けるお店ってファミレスか、ラーメン屋なの…それも私には限界があったな(笑)
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思い返すと冬が一番しんどかった。
朝も暗くて、変える時間も暗い(日中は室内)ので、太陽を浴びないと人間は段々鬱々としてくることを身をもって体感した。
時々職場でお手洗いに行くふりをして外に出たり、休みの日はなるべく太陽を浴びるようにしたけど、
やっぱり春になったら元気になってきたので、太陽は大事だと思う。
仕事へのモチベーション等というよりも、とにかく気持ちが上がらない冬だった。
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つらつらと書いたが、この働き方ができたのは私だけの努力ではない。
主人は私の帰宅時間に合わせて帰ってきてくれたので、
食事を一緒に食べて話せる時間がある意味で精神安定につながっていた。
職場でも、長距離通勤には理解があった。
異動のタイミングを部課長はすごく考えてくれていて、キャリアと生活環境を整えられるように色々配慮してくれていたと思う。
イベントで早朝に出勤する必要があるときは近くに宿泊したり、実家に泊まったりしたが、
先輩方もシフトを調整してくれたり「早く帰りな!」と声をかけてくれたりした。
義両親は駅まで自転車にしなさいと自転車を買ってくれた。駅まで歩いても10分くらいだったけど、自転車に乗るのも朝は気持ちよかった。
両親は時々作り置きを持ってきてくれたり、とにかく体調に気を使ってくれた。
私はフルタイムで働いているし、様々な事情でお休みや退職をした人に配慮して働いていたと思っていたが、
こう考えると自分も配慮していただいていたのだなと感じる。
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またやりたいか、と言われると「もう結構です」と言いたくなるが(笑)、
あの1年間が、私が色々な人とのかかわりを感じたり、
自分の機嫌を取り方を一生懸命考えたり、
時間の使い方を考える1年間だったことは確かで
その点においてすごくいい1年間だったと思う。

だから私は異動してからの今の働き方により感謝しているし、
より仕事も、家のことも頑張ろうって思える。
そんな、1年間だった。