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特技じゃなくて、趣味はピアノです。

と書くと、拗らせていると思えるかもしれません。
でも実際、ピアノに関して言えば、ずいぶん拗らせていました。

「何で?」と思われたことでしょう。
「素直に特技って言えばいい」という方もいらっしゃるでしょう。

今回は長くなりますが、なぜこのような考えに至ったのかを読んでいただけると嬉しいです。

さかのぼること数十年。
4~5歳ぐらいの時、保育園の先生がピアノを弾いている姿を見たのが、おそらくピアノとの最初の出会いです。

先生が上手に弾くのを見て、「これ、ぜったいにやりたい」と強く思いました。しかも、なぜか「絶対に弾ける」という謎の自信もありました。
母親に「わたしもピアノほしい。ひきたい!」といったとき、「お金がかかるからダメ」と言われてショックを受けたことを、今でも鮮明に覚えています。
それでもあきらめきれず、おもちゃなんかいらないからピアノが欲しいと言い続けました。

ピアノが欲しいと言い続けて数か月。
とうとう両親が折れて、ピアノの代わりにおもちゃの小さなキーボードを買ってくれました。
今でいう、これぐらいのサイズのものです。

私は大喜びで、毎日のようにそのキーボードを弾きました。
楽譜はないので、全部耳コピーです。
おそらく正確な音程ではなかったでしょう。
それでも私は毎日が楽しかったのです。

次のピアノとの出会い。
それは小学校2年生の時の学芸会。

先生が、劇に出る子とピアノ伴奏をする子に分けました。
ピアノ伴奏をする子は、普段からピアノ教室に通っていて、先生からのご指名で選ばれました。
私は劇に出るほうだったのですが、ピアノを弾く子が羨ましくて羨ましくて。
休み時間に教室のオルガンで練習するピアノの子に、ずっとくっついて見ていたものです。
その時に、劇の曲以外にピアノ教室で習っている曲を弾いてくれたのですが、とても上手に聞こえたのです。

同じ年の子が、あんなに上手にピアノを弾いてる。
私だって弾きたい!弾けるようになる!

そう思った私は、また両親にねだります。
「本物のピアノが欲しい!せめて電子ピアノでもいいから!」

両親は困っていました。
家にはピアノを置く場所も、ピアノ教室に通わせる余裕もなかったからです。
そんなことは構わず、ピアノをねだり続ける私。

また両親は折れてくれました。
でも買ってくれたのはピアノではありませんでした。
代わりに買ってくれたのは、今でいうこれぐらいのサイズのキーボード。

当時、姉と私を少ない収入で育てていた我が家からすれば、とても大きな買い物でした。
その事情を小学生なりに納得した私は、このキーボードを弾きまくる日々を送ります。
そして、耳コピーで譜面と鍵盤をにらめっこした成果なのか、独学で楽譜を読めるようになります。
そして、指は不格好ながらも両手で演奏できるまで上達しました。

キーボード演奏のおかげで、私は4年生の学芸会でついにピアノ演奏者の役割を獲得しました。
念願の役割だったので、練習も本番もとても楽しかったです。

時は経ち、高校1年生の春。
音楽系の部活に入った私は、そこでシンセサイザーと出会います。
それまでのキーボード演奏生活が功を奏し、シンセサイザーが楽しくて仕方ありませんでした。
時代はちょうど、小室哲哉氏プロデュース曲が流行っていたころ。
友人と一緒に音楽活動にのめりこんでバンドを結成し、シンセサイザー奏者として高校生活を過ごしました。

でもその頃、人前で演奏するときにコンプレックスに思っていたことがありました。
弾く時の指の形、指番号を無視した演奏…
自己流でやってきたせいで、ピアノ演奏の基本の「き」を習得できていないままだったのです。
ピアノが好きという気持ちだけで突っ走ってきた私にとっては、大きな障害でした。

それに気づきながらも、受験などの忙しさにかまけて、直そうとせずに時間が経ちました。

そして就職したての頃。

直属の上司に趣味や特技を聞かれたので、「キーボードですけど…ピアノ弾きます…独学です」と言いました。
すると上司は、鬼の形相(当時はそう見えた)で私にこう言い放ちました。

「独学でピアノ?ピアノは習ってこそ人前で弾けるのよ!」
「習ってもないあなたが、特技ピアノだなんて金輪際言わないで!」

上司のお子さんはピアノを長年習っており、音大を卒業するほどの腕前。
そんなお子さんを上司は誇りに思っていたため、私の独学演奏は特技のうちに入らないと判断したのでしょう。

でも当時の私は、楽しく打ち込んできた趣味と十数年の思い出を全否定されたと捉えてしまい、悲しい気持ちでいっぱいでした。
と同時に、それまで何とかやり込めていたコンプレックスが、その一言で顔を出し、頭の中でぐるぐる回り出しました。

この件ですっかり心をボキボキに折られてしまった私は、その日以降しばらくピアノやキーボードの話を人前で言わなくなりました。
演奏も頻度が下がり、すっかり遠のいてしまいました。
ピアノが好きと言う気持ちに、いつの間にか蓋をしてしまったのです。

そんな私がまたピアノに興味を持ったきっかけ。
それは、子どもにピアノを習わせるために、電子ピアノを購入した時のこと。

買ったピアノが納品された日、子どもたちが当時ハマっていたTVアニメ「新幹線変形ロボ シンカリオン」の主題歌を弾いてほしいと、長男に言われました。

それを何となく耳コピーで演奏してみたところ、夫が飛んできました。

「今弾いたの、ゆにちゃん?」
「そうだよ、ピアノ習ってないけど、弾けるって言わなかったっけ?」

すると夫は続けます。

「ピアノ、特技って言っていいと思うよ。ピアノ習ってたのに今弾けない俺が言うんだから」

正直驚きました。
鍵盤から離れて久しく、つっかえながらの演奏だったので、まさか夫がそんなことを言うとは、思ってもみませんでした。
それに、特技と言っていいと言われたことで、それまで呪いのように引っかかっていた元上司の言葉がよみがえります。

「私ね。元上司に、独学のピアノなんて特技じゃないって否定されたよ。」

そんな私に、夫はこう言ってくれました。

「そんなの関係ないよ。特技って言っていいと思う腕前だよ。何だったら、ピアノを習ってもいいんじゃない?」

それを聞いても、私の長年のトラウマは完全になくなりません。

「特技っていうには、ちょっと気が引けるかな。指使いとか自己流だし」

すっかり自信喪失して拗らせている私。
すると、夫が妥協案を示してくれました。

「だったら、趣味ピアノでいいんじゃない?

その言葉を聞いた瞬間、カチカチに固まっていた私のトラウマとコンプレックスが、少しずつ溶け出しました。
それまで蓋をしていたピアノへの思いが、溢れ出てきました。

夫は、トラウマやコンプレックスも含めて、私がピアノを好きだということを認めて、受け入れてくれました。
認めてくれたことで、私は好きだったピアノが、またいとおしく思えるようになりました。

コンプレックスになるほど気にしていた指使いは、当時ピアノを習い始めた子どものテキストを借りて、一緒に練習するようにしたので、以前よりは改善されました。
それでも昔から演奏している曲を弾くと、指の形が崩れてしまうことがあるので、まだまだ練習が必要です。

今思えば元上司は、私が人前でうっかり「特技ピアノ」と言って恥ずかしい思いをしないよう、気にしてくれたのかもしれません。
でも、その当時の私は、若いがゆえに自分に余裕がなく、ただ全否定されたとしか受け取れませんでした。

そんな風に振り返ることができるのも、認めてくれる人がいるからです。

とにかく、私はピアノを弾くことが好きなのです。
その気持ちはこれからも変わらないでしょう。
ピアノが好きと言う気持ちを忘れず、ゆったり気楽な気持ちで、演奏をずっと楽しんでいきたいです。

でもやっぱり、特技というのは憚られるので、
「特技ピアノ」ではなく、「趣味ピアノ」です。

私としては長い文章になってしまいましたが、ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。

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