考えさせられる記事を見つけました。
今日も読みに来て下さり、ありがとうございます。
先日、素敵なnoterさんを見つけました。
その方の名は、綾野つづみさん。
綾野つづみさんの記事は、本がお好きな方だからか、とても表現豊かでいきいきとしていて、読んでいて楽しいです。
こんないきいきとした文章を書いてみたいとあこがれる、私の目標でもあります。
私は特に、料理エッセイとマシュマロへの回答の記事が大好きで、フォローさせていただきました。
トップページの固定記事、もしまだ読んでいない方がいらっしゃったら、とても面白いので是非読んでいただきたいです。
さて、今日はそのトップページの記事ではなく、違う記事を紹介します。
この記事では、マシュマロに来た質問に対して、綾野さんが回答しています。今回は記事を作成するノウハウに関する質問が来ています。
noteを初めて20数日、初心者マークの私からすると、綾野さんのどの記事を見ても、さらさらっと素敵に書かれているような印象です。
しかし、綾野さんは、うまく書けないこともある、書けないことのほうが多いという趣旨の回答をしていらっしゃるのです。
このくだりは綾野さんの記事で読んでみてください。
ただ、私にはどうしても意外だと思いました。
綾野さんほどの文才があっても、うまく書けないって思うことがあるの!?
しかし、私が心を奪われたのは、次の文章でした。
「自分が作品を生み出した事実は尊い」って、とんでもなく深い言葉。
ご自身の作品に愛がないと、言えない言葉ですよね。
さらに綾野さんは、作品を子どもに例えて、次のように表現しています。
この部分を読んで、私自身の記事への向き合い方を考えさせられました。
これまで、自分の記事と愛をもって向き合ってきたのでしょうか。
少し自信がありません。
私の場合、出来の悪い記事はずっと下書きに寝かせてあります。
日々修正を加え、いつか日の目を浴びるその日まで保存してあるのですが、2度ほどうまくいかなくて記事ごとボツにしたことがあります。
記事をボツにした理由は、もう少し内容の深い記事を書きたかったのに書けず、これ以上展開するのが難しいと判断したからでした。
でも、今思うと惜しいことをしたと後悔しています。
あの時粘れば、もしかしたら自分なりの表現を見つけられたのではないかと。
記事の鮮度を大事にする方もいらっしゃることは百も承知ですし、そのことについては一理あると思っています。
しかし、私はやっぱり、下手なりにも心を込めて書いた記事を、大事にしたい。
鮮度がたとえ悪くても、その記事への熱量が戻ったときには、きちんと整えて、いつか日の目を浴びる場所に旅立たせてあげたい。
そして、綾野さんのように、一つひとつの記事をもっと愛してあげようと決めました。
私の拙い文章で、綾野さんの良さが伝わったかわかりませんが、いいなと思ってくださった方が1人でもいらっしゃったら、とても嬉しいです。
興味を持っていただけたなら、綾野さんのnoteをぜひご覧ください。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
※綾野さん、驚かせてすみませんでした。
そして、ありがとうございました。