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迷子になっても、書く理由。

「私の書く文章で、人を笑顔にしたい」


私の書く理由の原点はこれだと思っていた。
今までは。


何者でもない私が始めたnote。

私の思考を、心を表現したい。それを知ってもらいたい。

そう思って、開始から1日も欠かさず、書き綴ってきた。

すると、ありがたいことに「元気になった」「勉強になった」「読んでよかった」「面白かった」という反応をもらえるようになった。

心の底から嬉しかった。

何者でもない、ただの休職中の一公務員の文章が、人を元気づけるなんて。
一介の主婦が、「読んでる誰かに届いたら嬉しい」と書いた文章が、読み手に届いて反応をいただけるなんて。

私と私の文章を取り巻く環境が、目まぐるしく変わるのを肌で感じた。

固定のファンもついた。
ある程度スキをいただけるようになった。

そのうち、書くことに対して夢を持つようになった。

「公務員エッセイストになりたい」


以前の記事でも公言したが、この夢は変わらない。
必ず叶えたい。いや、叶える夢。

公務員という職にありながらも、エッセイで人を笑顔にする。

この道に進んでいる人は、私の知る限りではいない。

「どうかしている」

そう考える人もいるだろう。
公務員もエッセイストの夢も取るなんて、欲張りだという意見もきっとある。
両方取るなんて叶うわけないと、鼻から笑う人もいるだろう。

しかし思うのだ。欲張って何が悪いか、と。
欲張って悪いかどうかなんて、やってみなければ分からない。
誰もなったことがない「公務員エッセイスト」に、私が最初になってやろうじゃないか。

私の人生は、私が決める。

実際記事でそう宣言した。

ところが、その後失速した。


夢をあきらめたわけではない。
なのに、以前のように、生き生きと楽しく文章を書けなくなってしまった。

惰性で何とか毎日投稿を続けていたが、思うような文章が書けなくて苦しかった。
それどころか、毎日楽しく投稿している仲間たちを、恨めしく思うようになってしまった。

書きたい気持ちと書けない現状が、大きく離れ続ける。

こんなはずじゃない。
焦りだけが募っていく。

人のnoteを読んでも、読書をしても、答えは見つかるどころか、ヒントすらわからない。

このままだと、書くことそのものが嫌いになってしまうかもしれない。
せっかく見つけた書く楽しみを、放棄してしまうかもしれない。

いつもの私なら、素直に悩んでいると書いて打ち明けられるのに、この時は打ち明けられないほど悩みが深かった。それほどまでに追い込まれた。


もう、書き続けられなくなるかもしれないと思ったある日のこと。
偶然、自分の過去の記事を改めて読んだ。

私が探していた書く理由は、ここにあった。

私は、ずっと前から、心を表現したかったんだ。
私の思考を、心を、知ってもらいたかったんだ。

信じられないことに、私の書いた記事で、私が心を揺さぶられた。
見失っていた答えは、これだった。

「私の心を表現したい」


自ら掲げた志に、夢に、いつの間にか縛られていた。

「私の書く文章で、人を笑顔にしたい」とか、
「公務員エッセイストになりたい」という夢は、
全て書く理由から派生したものだった。

なのに、私自身が翻弄され、身動き取れなくなっていた。

やっと見つけた。

まわり道をして迷子になりかけたが、再び自力で戻ることが出来た。


私の心を表現し、人に知ってもらう。


これこそ、私の書く理由。












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