偶然性は許容されるのか~音楽創作とプログラミングの差異~

今日、音楽創作教育とプログラミング教育の親和性について取り上げる文章や実践が多くみられる。しかし、本当に二者を同時に取り扱うことは、両者の学びを深めることにつながるのであろうか。

以下は小学校プログラミング教育の手引き内にある、音楽科におけるプログラミング教育の記述である。

プログラミング言語又は創作用ソフト等を用いて様々なリズム・パターンの組み合わせ方を試し、更に工夫を重ねて試行錯誤し(プログラミング的思考)、 音楽をつくっていきます。

文部科学省(2020)小学校プログラミング教育の手引(第三版),p42,https://www.mext.go.jp/content/20200218-mxt_jogai02-100003171_002.pdf

ここでは音楽創作における試行錯誤が、プログラミング的思考であるとされている。確かに、音楽創作において一つ一つ音をつなげていく過程とプログラミングを組んでいく過程は表面上は似た活動のように見える。

しかし、ここでの「試行錯誤」という言葉に、音楽創作とプログラミングで大きな差異があるのではないかと考える。

先ほどの手引きには、以下のようなことが書かれている。

児童は試行錯誤を繰り返しながら自分が考える動作の実現を目指しますが、思い付きや当てずっぽうで命令の組合せを変えるのではなく、 うまくいかなかった場合には、どこが間違っていたのかを考え、修正や改善を行い、その結果を確かめるなど、論理的に考えさせることが大切です。

文部科学省(2020);小学校プログラミング教育の手引(第三版);p.15;https://www.mext.go.jp/content/20200218-mxt_jogai02-100003171_002.pdf

ここでの試行錯誤は、
「思い付きやあてずっぽうではなく、どこが間違いか考え、論理的に考える」ことであることが示唆されている。

また、プログラミング教育教材の検討を行った島袋は、以下のように述べている。

児童はプログラムとは別のことに夢中になったり,偶然実現した動きに満足 してしまうことがある.また,じっくり考えずに命令を変更するなどの試行をくり返すことで,プログラムの理解が不十分でも意図した動きが実現してしまう場合があり,本来行いたい学びができていないことがある。

島袋舞子(2021);初等中等段階におけるプログラミング教育教材の研究
;p.28;https://kanemune.eplang.jp/_media/kanemunelab/data/mikethesis.pdf

ここでも偶然性や非論理的な試行について、本来の学びでないことが記述されている。

この時点で、音楽創作との考え方の違いを感じた方が多いのではないだろうか。

さて、音楽科指導要領の創作分野においては、ご存じの通り「即興的に音を出しながら」や「思いや意図を持つ」など、論理ではなく児童生徒の持つ思いや意図を直観的に表現していくことが求められている。

また、音楽創作実践を行った木下は、以下のように述べている。

創作者が創作過程において試行的・偶然的に生成される音との出会いを通して、音楽の完成像を模索しながらつくることを実現させていた。

木下和彦,金崎惣一(2018);サンプリングの手法を用いた創作活動の教育的意義;pp.11-12;https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjomer/48/1/48_1/_pdf/-char/ja

試行や偶然が許容され、音楽創作活動の一部として捉えられていることが分かる。

これらのことから音楽創作とプログラミングは、表面上は似ているものの、その中身は大きく違うことが分かる。
そこには試行錯誤という言葉の意味合いの差異が見られ、その差異は無視するべきものではないと考える。

教科を横断することは、それだけで価値があるかのように考えられることがあるが、学習がどのようになっているかは、より慎重に見ていく必要がある。

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