実は偉かった「突風広告主」

身近な人が、実は有名人や偉い人だと分かったとき、ひどく驚いたり、どうにも実感がわかなくて信じられなかったり、といったことはしばしばある。
キース・リチャーズの子供が幼いとき、
「ねえパパ。
パパってローリング・ストーンズのギタリストなの?」
と聞いた話は有名である。
同じく杉田二郎の息子も幼いころ、
「お父さんって、『戦争を知らない子供たち』っていう歌を作った人なの?」
と聞いてきたものだから、ハッ……となった杉田二郎は息子に、
「座りなさい」
そしてギターを持って来て、
「よくお聞き。
『戦争を知らない子供たち』は、確かにお父さんが若いときに作った歌なんだ。
それはね……」
経緯と、歌に込めた思いを説明し、
「今から歌うから、聴いてくれるかい?」
こうして歌い出した杉田二郎であったが、1、2番を歌い終えて感無量。
涙が込み上げてどうしようもなくなり、必死に涙をこらえようと目をつむって間奏に入った。
心を落ち着かせ、さあ気を取り直して3番に入るぞ、と目を開けたところ。
子供はオモチャを出して遊んでいた。
……というようなエピソードを本人が以前テレビで語っていたように思う。
さて。
ある日すんどめが、地元のタウン誌のページをめくっていたときのこと。
なんと古本屋〔突風書店(仮称)〕のオヤジさんが、インタビューに応じる形で登場していた。
オヤジさん、実は古本屋連合のような組織の、地元支部における偉い人だったらしいのである。

〔突風書店〕は、すんどめが大学時代、サークルのスポンサーとして並々ならぬお世話になった学生街の古本屋さんである。
毎年、小さな協賛広告を頂いていたのだが……
ふつう、学生街のお店というものはサークルに協賛広告を出す際、毎年おなじデザインにするか、またはマイナー・チェンジを加えるのみ、という場合が多い。
しかし、この〔突風書店〕だけは、違った。

※すんどめが大学1年のとき

〔突風書店〕の広告には、絵も写真もなく、ただ味気のない文字がびっしりと並んで、
「女も、男も、本も、自分で選べ! 
それが“学ぶ”ってことじゃねえのか!? 
あーん?」
というような意味の、アオリの文句が書かれてあった。
実に熱い。
もはや店の宣伝であることを忘れた、学生どもへの単なる説教広告と言っていいだろう。
ところが、これが翌年も使い回されるかと思いきや……

※すんどめが大学2年のとき

〔突風書店〕の広告には、恐らくオヤジさんの孫であろう、あきらかに幼稚園児ぐらいの子供による「落書き」が載った。
それはヒヨコのような大豆のようなジャガイモのようなウルトラマンのような、カワイイのかカワイクないのか微妙なる、えも言われぬキャラクターの絵であり、その脇には、
「とっぷうしょてんでーす ハーイ きてね うみたん」
これまたアバンギャルディックなコピーがパンキーに踊っていた。
この「落書き」を〔突風〕のオヤジさんが我がサークルへ入稿したとき、営業に行ったすんどめの先輩は、
「ほ……、ほんとにこれで、いいんですか……?」
何度も念を、押さずにはいられなかったという。

※すんどめが大学3年のとき

〔突風書店〕の広告には、あのキャラクター「うみたん」が再び登場。
しかも驚くべきことに、1年を経て画家の技法は飛躍的な進歩を遂げ、なんと遠近法を用いていた。
さりげない遠近法で本棚が描かれ、「うみたん」が相変わらずヒヨコなのか大豆なのかジャガイモなのかウルトラマンなのか分からぬ姿でニコニコしながら本を選んでいる、という構図であった。

※すんどめが大学4年のとき

この年、〔突風書店〕への営業は、初めてすんどめの担当となった。
ゴミ溜めのような学生街の、ほんの片隅に、見逃しそうなほど小さな店がまえの〔突風書店〕はあった。
勇気をもって入ってみると、古本のインクの薫りが鮮烈に鼻を襲う。
倒壊寸前の書物の大山脈の中、その曲がりくねった渓谷を縫い、オヤジさんのところまでたどり着いてみれば……。
黒い着物をまとって黒白まじった髪をボサボサと伸ばし、丸い眼鏡をかけたオヤジさんは、ガリガリと不健康に痩せて、風貌に、知性と不潔感のほとばしる人であった。
「毎年、お世話になっています。
今年もぜひ……」
サークルで使っていた名刺を差し出すや否や、
「もしかして、お母さん、ヒサコさんという名前じゃありませんか」
は?
「いやあの、……ナミエですが」
「ああそうですか。
いえなに、苗字が同じだったものですから。
昔、好きだった人の名前なんですよ」

どこまでも人の意表をつかずにはいない、町の古本屋さん〔突風書店〕なのであった。

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