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やなぎだ けいこの店。#25「絵本・ねこのシジミ。」

★「やなぎだ けいこの店」では、日々、我が家で選び楽しんでいる絵本や店主が読んだ本・最近おもしろいと思ったもの・こと・美味しいもの・やなぎだけいこレシピ、暮らしの中の発見・・・などなど、をマガジンにまとめ、紹介していけたらと思っています。★

今日のご紹介は・・絵本「ねこのシジミ」です。

「ねこのシジミ」 和田誠


和田 誠
1936年生まれ。グラフィックデザイナー、イラストレーター。
59年多摩美術大学卒業、ライトパブリシティに入社。68年からフリー。77年より「週刊文春」の表紙を担当して現在に至る。74年、講談社出版文化賞ブックデザイン部門受賞。84年、映画「麻雀放浪記」を初監督。現在まで4本の監督作品がある。89年ブルーリボン賞、94年菊池寛賞、97年毎日デザイン賞、15年日本漫画家協会賞特別賞ほか、受賞多数。出版した書籍は200冊を超える。

Makoto Wada オフィシャルサイトより

私の母は喫煙者。吸っていたタバコはハイライト。子どもの頃、お使いでタバコを買いに行かされていたのですが、ハイライトのデザインをしたのが和田誠さんだったと知ったのは、私が大人になってからでした。

時代の流れからハイライトのパッケージに注意喚起の文言が入ることになったとき和田さんが「これは俺の作品じゃない」とおっしゃったというエピソードがあるそうで、自分の作品、仕事に対する真摯な方であったことが「ほぼ日刊イトイ新聞」の平野レミさんと息子さん、糸井重里さんの対談の中でも語られています。

他にも星新一さんの本のカバーのイラスト、週刊文春の表紙など、知らないうちに和田誠さんのイラストが私の身近にあったのだなぁ・・・。

随分と前のことですが、和田誠さんの妻が平野レミさんだということを知った時は、イメージが繋がらなかったのです。ご長男はバンド・トライセラトップスのボーカル和田唱さん。トライセラトップスの音楽が好きで聴いていた時に平野レミさんがお母さんと知って、驚きましたが、レミさんもシャンソン歌手であるので、驚くこともないのかもしれません。

私の中では、平野レミさんは、〈にぎやかでずっと喋りながらお料理をする人〉という印象しかなかったのです、平野レミさんが語る和田誠さんとの暮らしや、彼女の生い立ちや、家族とのエピソードを読む度に、「いいなぁ、和田誠さんと平野レミさんのようなご夫婦。」と思うようになったのです。

ほぼ日刊イトイ新聞で連載されたこちらの記事は、とても素晴らしく、何度何度も、読み返しています。

インタビューの中では、和田家の日常のエピソードがいくつか書かれているのですが、お子さんへの和田誠さんの姿勢というのも、とても興味深く、子どもの育ちを邪魔をしないお父さんだったのだということが感じられました。

絵本〈ねこのシジミ〉の中では、長男の唱さんが小学生の頃の和田家の何気ない日常が描かれています。

ねこのシジミが見ている〈和田家〉の日常は、和田誠さんの平野レミさんへの出逢った頃からずっと変わることのない優しい眼差しである気がするのです。

絵本の中に描かれているレミさんの笑顔が、和田さんがレミさんをどんなに可愛いと、どんなに愛おしい存在だと思っているかが感じられる気がして、
和田さんがお亡くなりになった今、そのページを開くたびに、なんだか鼻の奥の方がツーンとなってしまう。

平野レミさんは、和田誠さんの三回忌を迎えた今、「今も気持ちの整理はついてない。だから私思うの。あんまり好きな人と結婚したらダメよ。亡くしたときのショックが大きすぎるから」とインタビューで応えていらしたものを目にました。

ほぼ日刊イトイ新聞のインタビューの中でも、「自分が死んだら同じお墓に入って、和田さんの骨と自分の骨をガシャガシャってミックスしてほしい」とレミさん。それに対して、息子さんは、「父は〈しょうがねぇなぁ。〉っていうんじゃないでしょうか。」と笑っている。

お互いの世界観を持ちながら、どこまでも、そのままのお互いを受け入れ合っている。

〈ねこのシジミ〉からは、そんな和田誠さんと平野レミさんの関係が感じられるのです。

夫婦は正真正銘、赤の他人。
でも、こんな関係も築けるなんて、面白い。

絵本を子どもたちと読みながら、笑う場面でもちょっと涙が出そうになるのは、私もいつの日か、夫と別れる日がくることを、知っているからかもしれません。

みなさんの暮らしの色が増えますように。 店主・やなぎだ けいこ

学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!