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学校に行かないという選択。「この感情に、呼び名をつけないでいたい。」

ずっと拒食をしていたアカハライモリが昨日、命を終えた。

一昨日くらいから、まったく動かなくなり、長男も、「もう、駄目かもしれない・・・。」と言いながら、毎日、生理食塩水を取り替え様子をみていた。

私も気にかかり、長男の机の上の飼育ケースを日に何度も覗き込んで、その姿をみては、なんとか、状況が好転してくれたらいいと願った。

こういう時、人は、何かに祈ってしまうものなのかもしれない。

普段はなんの信仰も持ち合わせていないのに。


「やっぱり、死んじゃってるみたい。息をしているかも、小さすぎて確認できなかった。」

今朝、長男がそう言って、まだ雪が降り積もりきっていない庭にイモリを埋めるための穴を掘ってくる、と外に出て行った。


こういう時、かける言葉を持ち合わせていない。


何を言っても、違う気がするから。


長男の気持ちは、彼自身にしか感じられないし、自分でも言葉にならないことが、そこにはたくさんあるのだと思うから。


悲しい

可哀想

切ない

もっとやれることがあったかもしれない

何が原因だったのだろうか

早い対応をしていれば違う状況になっていたのか

やれることは、できるだけやってみた


きっと

どれもあてはまり、

どれもあてはまらないだろう。

この感情に、敢えて呼び名をつけないでいたい。

そして、時に、ちいさな生命を思い出し、暮らして行こうと思う。





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