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漫画みたいな毎日。「なんでもないことを、つらつらと。〈木曜日のトマトソース。〉」

曇り空の木曜日。トマトソースを煮ている。

トマトソースを作る時はストックができるように、大きな鍋で一気に沢山仕込むことにしている。2キロ強の業務用トマトの水煮を一缶、大きめの玉葱を10個程度使う。玉葱の皮を向いて、最近買い替えたフードプロセッサーでみじん切りにする。以前は包丁でみじん切りにしていたが、フードプロセッサーの便利さにすっかり依存している。買い替えたフードプロセッサーは音も静かで馬力がある。文明の力よ!と毎回感心している。

このところ、様々な調べ物や決めなくてはならないことが多く、やや疲弊気味だったけれど、そもそも選べるという状態にあることは、ありがたい状態でこそあれ、不満に思うのもの何か違うのかもしれないとも思える。

末娘に大きな虫歯が見つかった。

仕上げ磨きをしているが、ごろんと寝転んで磨く体制は上側のやや手前が死角になるのか、大きな虫歯になるまで気が付かなかった。慌てて歯科に電話して治療の予約をしなくてはと電話をかける。すると、思ってもみなかった言葉を聞くことになった。

「今日で閉院するので、予約は受付られないんです。」

北海道に移住してからお世話になっていた歯科医は子どもたちからも私からも「おじいさん」と言われるであろう年齢に達している方だったので、この数年は、いつ医院を閉めてしまうのではないだろうかという不安が私の心の片隅に常にあった。「どなたか先生の治療を引き継ぐお弟子さんはいっらしゃるのですか?」と尋ねたこともあった。先生は、「手間がかかる治療だから、みんなやりたがらないんだよねぇ。」と目尻を下げ、白い髭で覆われた口元はマスクで見えないけれど、口元を緩ませているのだろうと思わせる口調でおっしゃっていた。

閉院する歯科のT先生は私達が移住する前に神奈川でお世話になっていた歯科のK先生と顔見知りだった。私たちはそれを知っていて紹介していただいたわけではなく、偶然こちらの歯科に辿り着いた。T先生の治療の方針が神奈川の歯科医の治療方針に似ていたので、もしかしてと思い、K先生の名前を出した所、「あぁ、K先生!知ってますよ!一緒に研修を受けたりしたんですよ。懐かしいなぁ。お元気ですか?K先生は。」という会話になった。私は、神奈川のK先生とは年賀状のやり取りをさせていただいていて、歯科医としては引退されて息子さんが継がれていることをお話した。こんな偶然ってあるものなのかと不思議な気持ちになったことを思い出す。

いつか来る日

「閉院する日は遠くないかもしれない」と思っていたけれど、その日は、突然やってきた。驚かないように心の片隅で準備をしていても、どうしても寂しい気持ちにもなるし、困惑したような、置いてきぼりをくらったような、自分の狭い世界の端っこがこぼれ落ちるような感覚になる。この感覚は、自分が幼いころから見知っていた方、テレビや雑誌などでよく見聞きしていた著名人などが他界した時などにも感じることがある。よく行っていたお店が久々に訪れたらまったく違うお店に変わっていたときにも、近い感覚になる。

小さな別れ、大きな別れ、様々な別れが、これからも続いていくのだろう。その度に私をとりまく世界は少しづつこぼれ落ちていく。それは、憂うべきことなのかもしれない。

末娘の虫歯の対応を早急にしなくてならず、慌てて検索し、新しい歯科を探して予約を取り付ける。新しい先生は私よりも若い院長先生だった。丁寧に歯の状態を調べ、子どもが歯科にかかることが嫌にならないようにと配慮してくださる。初めはかなり緊張していた末娘も、「先生も歯医者さんも怖くなかったからまた行けそう。」と言っている。

別れを迎える度に困惑したり、寂しさを感じるのだが、一方で私の脳内の楽天的な住人が「言い古されてることかもしれないけれど、別れのあとにはさ、新しい出会いもあるんじゃない?」と私に囁く。

大鍋の中を覗くとトマトソースは何やら音楽を奏でるように、音をたてている。よくよく耳を傾けると、様々な音がしている。プツプツと小さく弾けるような音であったり、何かを包み込んでからシャボン玉が割れる様を想像させるようなふわっというか、ほんわりというか、そんな音がすることもある。

玉葱とトマトは初めはまったく知らないもの同士なのだけれど、ゆるゆると時間をかけ、気長に火を通すことで少しづつ調和していく。ついつい火を強めて早く仕上げたい気持ちになることもあるが、やはりゆっくりコトコトした方が玉葱が甘くなっていく気がする。だんだん煮えてくる玉葱の甘さとトマトの酸味が混じり合った匂い、一緒に煮込んでいる月桂樹とオレガノの香りが空腹を思い出させる。混ざりあった香りを一番感じる特等席で、鍋底が焦げ付かないように木べらで根気よく混ぜる。

「私の世界の端っこがこぼれ落ちていっても、トマトソースが美味しく作れるうちはきっと大丈夫。」

イタリアのマンマたちはそう言って大きく口を開けて笑うのではないだろうか。夫はイタリア人気質の日本人だけれど、私には縁もゆかりも無い遥かな地・イタリアに思いを馳せる木曜日の台所。

トマトソースの香りがあなたにも届きますように。


ヘッダーはみんなのフォトギャラリー・スイートぽてとさんのイラストをお借りしました♪ありがとうございます♪

学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!