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学校に行かないという選択。「いざ、中学校へ。後編。」

エイプリルフールに入学受付をしたことについてはこちらのnoteに書かせていただいています。・・・入学受付通知は嘘ではなかった。

入学受付をし、先生に面談を申し込んだ。日程については、先生は、「上の者と相談してお電話で連絡させていただきますね」とのことで、電話を待つことに。

「上の者との相談」・・・そうだよね、大変だなぁ、先生たちも。

公的な組織の仕組みに思いを馳せる。

個人としては、「別にいいんじゃない?」と思ったとしても、「組織として、それは出来ません。」ということもあるだろう。その間に常に立たされ、自分という「個人」をいかに蔑ろにせず、仕事をするかということは、なかなか難しいことだと思う。

しかし、何処かで、そこを越えた時に初めて、「個人 対 組織の一員」ではなく、「個人 対 個人」という関係を築き始めることができるのだとも思う。

受付に行った当日には、学校からの連絡は無かった。きっと新年度で忙しいのだろう。まぁ、月曜日にかかってこなければ、こちらから電話をすればよいことだとのんびり構えていた翌日、学校から電話がかかってきた。

「昨日は20時まで会議をしていて、ご連絡できず、すみませんでした。」

20時って・・・・!

職員会議、かつて、私も月に2回行われる職員会議は、憂鬱の種であった。21時までの会議などザラだったが、その内容は、あまりにも希薄だった気がする。

年度末から新年度にかけての業務の多さには毎年ながら、どうにかならないものだろうかと思うものの、「昔のやり方」の改善、働き方や段取りの改善に時間がかかったと記憶している。

先生と面談の日時を約束して、電話を切った。

面談の時間は来週だ。夫は仕事が入っていたが、なんとか調整してくれて、一緒に面談に行けるようになった。

今まで、学校との話合いの場で気をつけてきたことがいくつかある。

その中のひとつが、本人の同席に加え、母親だけでなく、父親の存在を学校側が感じられる場にすること。

家父長制度の名残なのか、単なる刷り込みなのか、まだまだ日本の社会では、男性の存在が女性より重んじられている部分があると思う。学校や公的機関に於いては特にその様な空気をあからさまに感じる場合がある。

そういった対応ではない公的機関も、もちろんあるとは思う。

しかし、とりあえず、男性であり、家庭内では「お父さん」という立場である夫が同席することは、有効であると思っている。ただ黙って座っていてくれるだけでいいのだ。ここで話すことは夫婦の共通認識である、という無言の宣言として、魔除けの置物以上に効果はあると思う。最初が肝心だ。

そして、もうひとつは、本人も同席し、「学校に行かない選択は、本人の意志である」と伝えること。

親がそのように〈させている〉のではない、ということを知ってもらう。時に、「親が子どもを学校に行かせようとしない」と思われてしまい、虐待を疑われるケースもあるようだ。本人が同席し、意思表示をしたり、家族と本人の関係性が見えれば、お互いに余計な心配をせずにいられるだろう。

ということで、私と夫、長男の3人で中学校へ向かうことになった。二男に事情を説明し、末娘とのお留守番をお願いした。「オッケー!まかせて♪」と言ってくれた二男。この春、3年生になり、大きくなった。そんな二男の話は、また別の機会に。

末娘は、親の居ない留守番は初めてだったが、こちらにも事情を説明し、急いで帰ってくるからね、とお願いした。不安そうではあったが、納得してくれた。

いざ!中学校へ!!

中学校に向う車内で、「室内でも帽子を脱がない。」と不機嫌そうにしている長男に、夫が、「あのさ、早く話を終わらせたいんだよね?帽子を被ってることで、話しかけられる要素が増えたら、それだけ時間がかかるって思っといてね。」とやんわり伝えると、ブツブツ不服そうではあったが、「・・・わかったよ」と一刻も早く帰りたい長男は渋々協力してくれるようだった。本当はそんなことは、大した問題でもないよね、と、私は思っている。でも、帽子ひとつで面倒が増えるのは本意ではないし、そこで主張しなくても意思表示することはできるではないか。しかし、まぁ、思春期ってそんなもんよね、とも思うのだった。

学校に到着すると、先生が玄関で出迎えてくださり、「相談室」なる所に案内してくださった。

中学校の廊下の幅とても広く、夫が「廊下が広いですね!」というと、「市内で一番幅が広いんです。」とのこと。ピカピカの白い廊下、まだ生徒は部活で来ている子くらいで、まばらである。身体が大きくなってきた子どもたちで賑やかになると、この廊下も狭く感じるのかもしれないな、と廊下を見渡した。

相談室には、既に学年教務主任の先生が面談の準備をして待ってくれていた。お互いに挨拶を交わし、席に着く。

私と夫に挟まれ真ん中に座った長男に目をやると、ニヤニヤしながら、偉そうにそっくり帰って椅子に座り、足を組んでいた。

おいおいお〜い!

「ちょっと~!わざとそういうことをしないの!」と冗談っぽく軽く促す。先生たちは、笑ってくれていた。苦笑いかもしれないが・・・。

面談が始まり、まず、小学校からはどのようなことが、引き継がれているのかを確認すると「アレルギーや、給食のことは聞いています」とのこと。

・・・え?!それだけ?!

う~ん、皆さん忙しいから、引き継ぎとかしていられないのだろう。ということで、一から説明をする。

小学校1年生の時から学校に行かない選択をした経緯として、自分のペースで、自分の興味のあることを中心に学びたいという意思表示があったこと。学校へは月に2回程度、プリントを受け取りつつ、先生とお話しさせていただいてきたこと。

学校に行かない時間をどの様にすごしているかについて。

ここは、学校側としては、特に気になるであろうポイントなので、ずっと家に籠もっているわけではなく、一日の時間の使い方を自分で計画し、勉強の時間に充てたり、科学館や博物館に出向いて専門家との交流をもったり、大学の開催するワークショップなどにも自主的に参加し学びを深めていると伝えた。生態系にも興味があるので、外来種の駆除のお手伝いにも参加していることも付け加えた。

今後の中学校への通い方について。

学びとは、自分で自発的にしていくものであり、誰かが無理やりやらせることはできないと考えていること。自分で勉強したいという長男の姿勢を大事にしたいこと。中学校の先生方にも彼の育ちを一緒に見守り支えていただきたいと思っていること。まぁ、平たく言えば、今のところ通う意志はないので、放課後にお会いする形にしたいという意思表示をした。

学校側からも、いくつかの確認事項があるとのことで、そのお話を伺う。

まず、学校の名簿に名前を記載してもいいか、学校の副教材を購入するかなどの事務的な事柄。

行事への参加はどうしていくかということ、放課後に月2回程度の登校となると、成績は一番低い評価しかつけられないであろうということ。

行事に関しては、「日常の延長に行事があると認識しているので、今のところは、参加を希望しません。」ということをお伝えした。

成績に関しては、学校に通わない選択をするということは、そういうことであると理解している。しかし、今後、長男の進学の希望などが出てきた時に備えて、学校として、こんなことをしておいてもらえると良い、例えば、プリントなどの課題を提出するなどで、多少でもカバーできることがあれば、教えていただければ、本人と相談しながら、取り組むこともできると思うと伝えた。

面談の内容としては、そのようなものだった。
面談は終始、穏やかな雰囲気で進み、先生方も親身になってくださり、とてもありがたかった。

面談の終わりに思い出したことがあった。

「あの、学校に伺うのは、放課後になると思うのですが、やはり、制服やジャージが望ましいでしょうか。」と尋ねた。

長男は、再三、「なんで制服なんて着なくちゃいけないの?!」という疑問を持ち続けている。きっと、先生方もその答えには困るであろうと思ったので、こちらから切り出した。長男の希望を伝える意味も勿論ある。

「制服がある歴史的背景とか、部外者かどうかを判断するとか、いろいろ理由はあると思うのですが、本人は、何故、制服でなければ、ならないのだろうと疑問に思ってるみたいで・・・(笑顔)他の生徒さんもいらっしゃるので、きっと制服かジャージが望ましいとは思うのですが・・・。」

すると、担任になるのではないかと私が予想している先生が、「標準服が望ましいとは思いますが、それによって、学校に足が向かないということであれば、私個人としては、標準服やジャージでなくても、やむを得ないのでは、と思います。」と言ってくださった。

「どうしても、ということであれば、やむを得ないと思っていただけるということですか?」とやんわりと聞きかえすと、「そうですね、私個人としては、そう思います。」と。

私は、嬉しくなった。

組織を越えて「個人」として、子どもの気持ちを尊重してくれようとする先生がここにも居たことに。

教務主任の先生が、「学校に来たいと思ったら、いつでも来ていいし、学校はそういう場として、開かれているからね。」と長男に言ってくださった。
「最初の一歩は大変かと思うけど、そこは勇気をもって踏み出すのが大事だから!」と。

後半の言葉に、長男が不思議そうな表情を浮かべていた。本人としては、「最初の一歩?勇気って???」と思っているのだろうな、と想像した。

自分で学校に行かないという選択をしている事と同じで、もし、自分で学校に行くという選択をしたなら、そこに迷いはないだろう。

学校に行くか行かないかは別としても、「あなたにとって開かれている場ですよ」と言ってもらえることは、ありがたいし、心強いことだと思う。

入学式は欠席することも伝え、面談は終わった。

個人的な意見を伝えてくれた先生が玄関まで見送ってくださった。
長男がよく訪れる科学館に興味を持ってくれたり、外来種の駆除の話などをし、玄関に着いた。

時間を割いてくださったことに、感謝を伝え、学校を後にした。

帰りの車の中、長男と制服の話になり、「やむを得ないって言ってくれてたけど、ジャージの上くらい羽織っていったら?」と夫が言った。先生たちが、気持ちを汲んでもらえたことで、長男も多少は、そのことに関する拒否感は薄れたように見えた。

「・・・ジャージ羽織るくらいなら、してやらんこともない。」と小声で言っているのを、母は聞き逃さなかった。

思春期と言われる子どもたちの成長を、力で抑え込もうとすれば、反発が大きいことは、明らかだろう。大人や社会に矛盾を感じ、それにイライラしたり、モヤモヤしたり、折り合いをつけたり、つけられなかったりして、成長していく時期なのだ。

個人としては、制服を着ないこともやむを得ない、といってくださった先生の様に、大人の都合や理由を頭ごなしに押し付けるのではなく、社会の在り方と個人としての大人の在り方が違うこともあるということを感じられる対応は、この時期の子どもたちにとって特に必要なのではないかと感じた。

一方的に大人の都合を押し付けないこと。

これは、思春期に限らず、子どもがどんなに小さくとも、生まれたばかりの赤ちゃんだったとしても、大切なことだと思ってきた。

「あなたは、どうしたいの?」という問いをどんな時も忘れてはならないと。

関係性の構築は、そこからしか始まらないのではないだろうか。


これからまた、色々あるかもしれないが、その時々、長男の学びや生きることそのものへの意欲が損なわれないやり方で、学校の在り方や、先生たちのことも大切に考えつつ、共に長男の育ちを見守ってもらえるような関係性を築いて行きたいと思っている。

とりあえず、スタートは上々だ。

いつだって、人生は、上々だ。


追記・また来週も面談したいと中学校から連絡あり。気張らず、ほどほどに、やっていこう♪




学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!