「大人」になったら“大人”になれた。

 大人になった、と感じること。。。酒が飲める?タバコを吸える?選挙権がある?結婚できる(権利がある)?電車賃倍増?

 うーん、昔は大人といえば20歳!だったけど、今は18歳になれば選挙権があるし結婚もできるようになったから、「大人」の基準が曖昧になってきたなぁーなんて思う。

 「大人」の基準は様々だけど、個人的に自分が“大人”になったなと感じるのは「自分のことを“好き”と言ってくれる人がいること」。

https://www.16personalities.com/ja/性格タイプにおいて、INFJという世界的に見ても圧倒的少数派に属して、このタイプって好かれるか嫌われるかの二極化する。で、日本社会は圧倒的少数派は冷たい目で見られがち。この二つがあいまって、小さい頃、嫌な思いをすることや「嫌い!」って言われることがよくあった。(小さい頃って、頭のよさじゃなくて体力勝負なので、運動神経が悪いことがこれに拍車をかけたのは言うまでもない。)

 まだ、それでも「そのままでいい」とか「好き」とか肯定してくれる人がいればよかったのだが、そんな人いなかったし、「みんなみたいにできない-“普通”じゃない自分がダメなんだ」としか思えなかった。そして私はそのまま「大人」になってしまった。

 「大人」になるということはその分、歳を重ね、それだけの年数いろんなことがあり、たくさんの経験やら出逢いがあったことを意味する。「大人」になって出逢った、多様なバックグラウンドの持ち主たちは私のことを「そのままの貴女が好き」と言う。嫌いと言われたり、疎まれて生きてきた私は「私のこと好きって、頭おかしくね?」とこの慣れないことをなかなか受け容れられなかったので、自身のバックグラウンドをその人たちに話した。こんなだけど、好きなん?って聞きたかったから。

 「そんな大変なことがあって、生きるのが嫌になったこともあるだろう。でも、生きててくれてありがとう。貴女がどんな生い立ちだろうとどんな生き方をしてきていようと、目の前にいる、そのままの貴女が私は好き。」-こう、返ってきた。また別の人は、「よく頑張ったね」と頭を撫でてくれた。

 「大人」になるといろんな権利を享受される代わりに責任が伴う。でも、その分、世界は拡がる。家(とその近所)と幼稚園やら保育所やら学校の往復だけではあまりにも世界が狭い。幼い頃のことなんて、クッソ狭い世界での話なのだ。嫌われたり疎まれるのも、そのクッソ狭い世界での話。「大人」になって辿り着いた、拡い世界で「好き」と言って、ありのままの自分を肯定してくれる人に出逢い、私が私を少しずつではあるが肯定できるようになってきたことで、私は“大人”になれた。

 社会的に「大人」になったことで、精神的に“大人”になれたのだ。

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