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個人的なもの「体と心」について

 今回もまた私の個人的な考えについて書いていきます。

 多種多様な考え方があるうちの一つというだけなので、これが正しいとも間違っているとも言えませんが、ご興味あればお読みください。(_ _)


「体、神経、脳、精神、心」

 人間とはこのような要素で組み立てられています。

 体は物理的に感覚を掴み、神経がそれを伝えて、脳へと送る。快・不快を感じれば、精神に作用して心が揺さぶられる。


 体がなければ、感じることはできない。

 神経がなければ、脳には届かない。

 「感じない、届かない」という感情や感覚は、人によっては精神に作用します。そして、心が揺さぶられる。

 起きた要素にもよるので全てがこうとは限りませんが、私のイメージではこのような感じです。


「ならば、体がなくても、精神と心は存在するの?」


 上の文章だとそう思う人も居るかもしれません。

 (なんだか宗教チックな雰囲気ですが、私は金銭の絡む信仰は大嫌いなので、本当にただの雑談のような小話です。)


 「体、神経、脳」と「精神と心」は、同じ場所にあっても別の場所にあります。

 前者は物理的接触が可能なもの。

 後者は、物理的な干渉ができないもの。


 では、物理的な部分が機能しなくなった場合、精神と心はどうなるのか。


 私の体は今。目と耳を通して世界に触れています。

 「精神と心」は、人間の五感に寄生する。

 嫌な言い方ではありますが、そういうもののように感じます。


 喜怒哀楽は五感によって感じるもの。つまり、精神と心は五感に近い所に存在する。


 目が見えない人は、耳という精神と心の目で世界に触れることができる。

 耳の聞こえない人は、目という精神と心の目で世界に触れることができる。

 目と耳が不自由な人は、触れるという行為によって、精神と心の目を使うことができる。

 (聞こえが悪ければ申し訳ありません……。ですが、これは同時に人間の平等を表しています。)


 本題に戻りますが……。

 私の話でいけば、「死んだとしても、精神と心はその場に残る」と位置づけされるものであります。


 私の感覚でいうと、体は動かすための人形・入れ物のようなもの。

 心はこの世界とは少しだけズレた世界にあるもののように感じます。

 ここにあってここには無いもの……。



 私の場合では、目に宿る精神が、体とは別の視点を生みだしています。

 ここに今、座ってパソコンを眺めている私は私であり、目を通して文章を書いているのは私であって私ではないもの。

 二重人格というわけではありませんが、この感覚が伝わる人もいるのではないでしょうか。

 客観的な意見を自分へと向けられる人は、こういう感じ方をしているのかなと思います。



 自分という体はこの世界で動くための必要な要素。その体を通じて精神と心の成長を促す。

 死が次へのステップにつながる……かもしれない。なんて思うこともあります。


 この世界は、私にとって次へ進むための成長過程の一種のように思うのです。

 この体が機能しなくなった時、本当にどうなるのかという興味は拭えませんが、周囲に迷惑がかかるので寿命がくるまで粘りますけどね。



 少しブラックな言い方をしてしまい、あまり良い話にならなかったように感じますが、これで「体と心」については終わっておきます。


 お読みくださりありがとうございました。(_ _)ちょっとだけ余談が続きます。




 生きることと同じく、死ぬことをこうして考えるのは、私にとって娯楽のようなもので、誰かと話せばもっと深く掘れるのではないかと思います。

 ただ、誰かの前に出る時の私は「誰かと話す用に作った自分」なので、上手く会話をするのは難しい。

 慣れ親しんだ友達でさえ、本音を語るのは一人か二人だけ。


 働いている時の自分、誰かといる時の自分、独りの時の自分。


 取り繕うために作った私。

 その場をごまかすために作った私。

 独りで心の自由を得られた私。


 すべては私なのですが、こうして書いている素の私はなかなか人前に出ることができない。

 可愛く言えばシャイであり、日本人で言うなら人見知り。

 でも、これが私の選んだ生き方なので、とくに気にしてないのです。


 この世界で生きるには、

 素直すぎれば弾かれる。

 孤高に生きれば嫌われる。

 気を遣えば裏切られる。


 なら、この世界で生きるためだけの取り繕った自分を作ればいい。

 愛想よく、抜け目があって、真面目だけど少しだけ毒舌、誰かのためにとにかく動く。


 このもう一人の私は、どうしてこうも素直に育ってしまったのだろう。

 まぁ、「誰にも嫌われたくない。相手を不快にさせた後が面倒くさい」という私の想いも混じっているから、仕方がないと言えば仕方がない



 と、私自身の愚痴っぽい感じで終わらせてもらいます。

 ここまでお付き合いくださりありがとうございます。(*_ _)

人を変えることはできないけれど、誰かの心に刺さるように、私はこれからも続けていきます。いつかこの道で前に進めるように。(_ _)