愛が欲しければ。

『愛が欲しい』人が必ずしも思っていることではあると思う。その愛とはどうやって貰えるのだろう、容姿が綺麗なら貰えるのだろうか、はたまた博識であれば貰えるのだろうか、はたまた人付き合いが上手い人が貰えるのだろうか。人は何かを得ようとする時逆に何かを捨てることを拒む、告白にしても、好きな人を手に入れようとするが逆に振られることに恐怖をし恐れ、その行動に移せない人が多い。両想いでなければいけない。そんなの誰が決めたことなんだ。

ここに断言をしておく。人は自己中心的で強欲で罪深い者だ。自分に必要なことなら殺しでもやってのける人も少なくは無いだろう。そうでなくても誹謗中傷や粗探し相手を低くしたりなどその人の事を貶めることを容易くする。これは殺しも誹謗中傷も思いも軽いもない等しく罪深いことである。

それをしてしまう人にはそれほどの欲があるのだ。けれどそれほど求めるものなら他の手段を使った方がまだいいのではないか、告白にせよ他のライバルを蹴落とすのでは無く、自分がより輝くよう自分に努力を心がけ、正々堂々と告白をし勝負をする。その方が絶対に幸せだ。なにが幸せかと言うと『心だ』心が幸せなのだ。だから誹謗中傷などする暇があったら自分から愛を伝えた方がいい。

少し話がズレたが、愛が欲しければ自分から愛を晒す事が1番早い。好きなら好きと伝えそれを行動に移す。彼氏が冷たい彼女が冷たいなど言う人もいるが、それは自分の行動が相手からそのまま返ってきているのだ。だからこそ、愛を伝え行動に移す。愛を晒すことが大事なのだ。

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