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「しゃべる」という覇者感

「ラジオ局のアナウンサーになりたい」
そう志したのは中学3年生の夏休み。

きっかけはラジオ好きの同級生の
「SCHOOL OF LOCK!めっちゃおもしろいで」という紹介だった。

当時、お笑い大好きでテレビっ子だった自分は
「ラジオって言葉だけやん。映像もあるテレビの方がおもしろいやん。」
といった感想でテレビ>ラジオという考えを持っていた。

紹介を受けて実際にラジオを聞いた同級生は僕だけだったと思う。
テレビよりは下やろと見下しながらも、ラジオは身近にある存在だった。
実家の納屋でミカンの選別をしている祖父がラジオを流していたり、養豚業をしていた父が豚を出荷する道中のトラックでもラジオが流れていた。小学2年生の時には夏休みの地区のラジオ体操で、ラジオを持ってくる当番にすぐさま立候補するほど生活の中にはラジオがあった。

ラジオを勧めてくれた同級生は更にどっぷりラジオにハマっていて、彼の部屋には「Toppa」の空き箱が飾られていたのを覚えている。

Toppoがラジオ番組とコラボし、「受験生が突破できるように」といった意味で販売されていた期間限定のToppo


そして、ラジオを初めて聞いた中3の夏休み。
漠然と「あ、これだ」と思い、そこから将来の夢はラジオDJになった。

それまで将来の夢は「漫才師」だった。
小学5年生の時に初めてMー1を見てから、漫才師は憧れの職業だった。
中学生の時は文化祭で初めてステージに立ち、まだ若手でテレビに出ていない芸人のネタを漁り最もおもしろいネタをコピーしていた。
※その時に見つけてコピーしていたのがNON STYLE


「お笑い芸人」ではなく「漫才師」
「アナウンサー」ではなく「ラジオDJ」

それは、
「しゃべりだけで勝負するのが最もかっこいい」という自分の一種の美学である。
そんなことを思い出させてくれたのがこの1冊。

ノンフィクションライターの中村計さんが、2001年から開催され2010年に一度幕を下ろしたM-1グランプリについて書いた1冊。

その中でも、2002年~2010年まで9年連続で決勝に進出した笑い飯にフォーカスを当て描かれている。

マイク一本で、しゃべりの技術だけで笑いをとっていく。
セットも、音響もなく。
お笑いの中で漫才師だけじゃないですか。素手で戦ってるの。
清水けんじ

生身ひとつでしゃべりだけで戦う。
その覇者感に小さいころの自分は感銘を受けて、きっと今に至っている。

という熱い気持ちになったので、とりとめもなく書き留めておきます。

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