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【ハマスの成り立ちがよくわかる超簡単要約】

 前回と同様、こちらの方のツイートがかなり参考になり、ある程度人に教えれるようにまで知識レベルを上げることができました。

https://x.com/JapanTank/status/1713392683505656039?s=20

↓前回の記事

 しかし、こちらのツイートだけだと(Twitterの仕様上)要所要所に画像などでの解説がありません。私は前回の記事の内容と繋がっている部分が多かったので大丈夫でしたが、読んでいない方はインターネット上で色んな情報を調べながらの読解となりそうだなと思いました。ですので、この記事を読んでいただく方には、そのような面倒なくこのツイートの内容を読めるように、要所要所に画像を添えてみました。

↓ここからツイート内容(ところどころ私の方で修正したり情報の付けたしをしております)
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イスラエルとハマスとの戦闘が開始されて1週間が経過した。
ハマスの成り立ちと、どういう組織かを解説するで。
ハマスが突然テロ攻撃をしたかのように報道されることもあるが、長い歴史があり、積もり積もった歴史の上の戦いでもある。
ワイはどちらの側の立場でもないと先に言っておく。

現在パレスチナという国は2つの地域に分かれており、左の小さいのがガザ地区、もう片方の大きいのがヨルダン川西岸地区。
イスラエルとパレスチナが戦争をしているかのように思えるが、ハマスは国家ではなくパレスチナ自治政府(または自治区)の中の、ガザ地区のみを支配している武装組織や。

パレスチナ自治区

よって、パレスチナを代表しているわけではないし、国家ではないことは理解しておいてほしい。
イメージで言えば、アフガニスタンを支配しているタリバンが似た存在やと思ったらいい。
アフガンも政府に大統領はいるけど、実効支配してるのは武装勢力タリバンよな。
でもタリバンがなんか言ったからといって、アフガン市民の総意ってわけじゃないってのは我々もわかるよな。

ハマスを理解するためには、長い2000年3000年の歴史に加えて、パレスチナ解放闘争の歴史もある程度は知らんとあかん。
アラブ人が1400年住み続けてたパレスチナの土地に突如ユダヤ教の国・イスラエル国が建設されアラブ人が追い出されたのは1948年。
そしてアラブ人vsユダヤ人の4回にわたる中東戦争に決着がついたのが1973年やな。

↓長い長い2000年3000年の歴史についてはこの記事で超簡単に解説(2回目の宣伝)

その間(4回にわたる中東戦争の間)の1957年、アラファトという若者がパレスチナでファタハという政党を作ってリーダーになった。28歳の若者や。
ファタハは対イスラエル徹底抗戦を強い思想としていて、幾度にわたる中東戦争でも活躍したし、中東戦争後もイスラエルに対する武装闘争を継続した。
アラファトは武装闘争をする政治家やが、エジプトの名門カイロ大学卒のインテリでもあった。
ちなみに女帝・小池百合子もカイロ大学卒やで。

1957年

1964年、パレスチナにPLO(パレスチナ解放機構)というのが設立された。
PLOは名前の通り「敵国イスラエルを倒し、取られた土地を取り返して自分たちの国を取り返そう」的な感じの勢力。中東って、こういう謎の勢力がいっぱいあるよな。

パレスチナ解放民主戦線(DFLP)
パレスチナ解放戦線(PLF)
パレスチナ解放人民戦線(PFLP)

これ一応別の団体なんやで。わけわからんやろ。まあ争いが起きるとそれぞれの理想を実現するための武装勢力が現れるのが中東やな。

1967年の第3次中東戦争でイスラエルにボロ負けしてから、PLOは新しいリーダーを探してた。
強力な支持基盤を持っていた政党ファタハのトップ・アラファトはんお願いします、ということでアラファトがPLOの議長になったんや。
この人はパレスチナ人からも周辺イスラム国家からの支持も厚く、死ぬ2004年まで37年間も議長を務めた。
特にエジプトからの支持が厚かった。エジプトはイスラエルと中東戦争で戦ってたしな。

イスラエルが3つの土地を奪った

ファタハもPLOも今ではヨルダン側西岸地区を治めてて穏健派な感じやけど、当時はかなりイスラエル徹底抗戦ガチ勢やった。
国vs国の中東戦争が終わっても、彼らは国じゃないから武装闘争をやめないし、ちょくちょくイスラエル攻撃したり、逆に攻撃されたりを繰り返してた。

PLOはパレスチナ解放戦線という名前の割に、本部はお隣のヨルダンにおいてたんや。
ヨルダンはイスラム教やけど、親米国家や。
首都はアンマンや。
日本の記者が「ヨルダンの首都アンマンから中継しています」ってよく言うけど、親米国家でまあまあ安全だから日本のマスコミも多いわけや。

アンマンの位置

ワイの中学校の社会の先生は、中東の歴史の話が出るたびに「昼でもヨルダン!好きな食べ物は実は肉まん!」っていうよくわからんギャグを持ちネタにしてた。
10回くらいは聞いた。
週末その先生がパチンコ屋にいるのをよくみたけど、「パチ屋にいましたよね?」と聞いても絶対にそれを認めなかった。

まあええわ。
1970年代に入ると、PLOは親米国家のヨルダンに本拠地を置かせてもらいながらイスラエルへの攻撃を盛んにしてただけでなく、ヨルダンの一部を政治的軍事的に実効支配したりとか好き放題やってたから、ヨルダン国王も手を焼いてた。

特に1970年にPLOの下部組織のPLFPが米国の航空機を含む5機を同時ハイジャックして、そのうち4機を爆破した事件が決定的になって、ヨルダン国王は同じイスラム教のPLOを攻撃して、国から追い出すんや。
イスラム教vsイスラム教の戦いになったから、ヨルダンも周辺のイスラム教の国に虐められたけど、アメリカが援助しててなんとか国は保たれたで。

本部を失ったPLOは仕方なく今度はお隣レバノンの首都ベイルートに本部を移す。
レバノンは当時キリスト教国家で、中東で最も発展した都市と言われてたんや。
今やと中東の発展都市といえばドバイよな。
インスタでキラキラした女子がドバイの高級ホテルのプールで誰と行ったかわからん自撮り写真あげてたらパパ活を疑ったほうがいい街、ドバイや。
でも当時発展してたのはレバノン・ベイルートや。

でもPLOがレバノンに流入してきたと同時に大量のパレスチナ難民(イスラム教)も来て、しかもPLOは過激派でもあったのでレバノンは国一部をPLOに取られて、破滅的な内戦になってしまうんやな。それから数十年でボロボロになってしまった。迷惑な話や。

本部を移すPLO

さらに1972年、ドイツ・ミュンヘンオリンピックに来てたイスラエル選手11人をPLOの支持基盤ファタハのテロリストが暗殺する。
これはスティーブンスピルバーグ監督の映画「ミュンヘン」で映画化もされてる。
ちなみにスピルバーグはユダヤ人やからね。
だから彼は「シンドラーのリスト」っていうユダヤ人をホロコーストから救った人を描いた映画とかも作ってるんやで。名作やからみるとええで。

ずいぶん過激なPLOだったが、1980年代に入ると、ハマスが誕生する。
ハマスはPLO、つまりその支持基盤ファタハのやり方に不満を持ってた勢力や。
自民党に対する立憲民主党みたいな存在やな。

当時パレスチナ国民の中で圧倒的に優勢やったのはPLOやった。
PLOを弱体化させたいイスラエルは、実は裏側でコソコソとハマスに資金援助とかしてたんや。
争わせて弱らせて、2つとも弱ったところを叩きにいくみたいな。
なんかイギリスみたいなことしてるよな。

だから今はイスラエルと戦争してるハマスやけど、そもそもハマス誕生にはイスラエルも関与してるんやで。

1980年代後半、パレスチナとイスラエルは再度激しい争いをするんやけど、業を煮やした欧米諸国の仲介もあり、1993年にPLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相がスウェーデンのオスロで平和合意を果たすんや。
クリントン大統領の前で2人が握手してるのは有名な写真や。

ファタハを設立して長年PLO議長をやって、数ある戦いを主導してイキってめちゃくちゃやって、レバノンもカオスな国にしてっていうあのアラファト議長が、やで。
世界もびっくり仰天や。
これでアラファト議長とラビン首相はノーベル賞を受賞した。
これまでの歴史を考えるとまあ納得感はあるよな。

ここでファタハ=PLOは「まあイスラエルとある程度仲良くやっていかんと流石に無理やろ、平和にやろうや」っていう穏健派な考え方に大きく転換したんや。
逆にハマスは「もっと強気でイスラエルと戦っていかんとあかんやろ」という思想になった。
昔のファタハやPLOの思想に近いな。

でも狂信的な信者が多いこのエリアでは、それまで血みどろの争いをしてた相手と今日から仲良くしろと言われても納得できない人も多かった
ノーベル賞までもらったイスラエルのラビン首相は自国のユダヤ教の狂信的信者にすぐ暗殺されてしまったで。

パレスチナ側国民も100%納得できた合意ではなかったとはいえ、それでも「あのアラファト議長が言うんやったら言うこと聞いたるわ」と、その後の選挙のでもファタハ・PLOが過半数を維持し、新しく就任したイスラエルのネタニヤフ首相とも和平継続で合意もできていて、まだ平和は保たれてた。

しかし2000年、ユダヤ教ガチ勢でアンチアラブの超右派のイスラエル人政治家シャロンの登場によって事態は一変するんや。
シャロンはイスラエルの首相になりたかったんやけど、イスラエル国民の右派ユダヤ人支持層を拡大させて首相選挙で勝つために、武装兵1000名を連れてエルサレムにあるイスラム教の聖地「岩のドーム」を訪問する。

シャロンの岩のドーム訪問

しかもそこで「エルサレムはイスラエルのものであってお前らイスラムなんかに渡さへんで」みたいな演説パフォーマンスまで行う始末やった。
これでパレスチナ側もブチキレるわけやな。やっと平和維持ができそうやったのにな。
しかもシャロンは選挙で勝って首相になってしまうんや。

※エルサレムという土地のユダヤ神殿(ユダヤ教)跡地に岩のドーム(イスラム教)が建てられた経緯を簡単に知りたい方は↓こちらの記事へ(3回目の宣伝)

例えるために、日本vs中国で激しい戦争をしてたとしようか。中国の人ごめんな。例えや。悪気はないで。
日本は中国に攻め込まれまくって伊勢神宮まで取られてしまったとしよう。
で、前の国家主席の胡錦濤(こ きんとう)さんと和平合意まで来たとする。

よかったなあと思ってたところに、突然習近平が武装兵1000人と現れ、伊勢神宮に土足で入ってきて、しかも日本人でも普通は入れない内宮のお宮の中にまで土足で入ってきて「伊勢神宮は俺らのもんじゃ!ガッハッハ」と高らかに宣言したような感じやな。
しかもその直後選挙で勝って国家主席になってしまう、みたいな。
これでパレスチナとイスラエルの関係崩壊は決定的になったんや。

しかもイスラエルの新首相・シャロンは、パレスチナに猛烈な圧力をかけていじめつつ、ちょくちょくパレスチナに侵攻してPLOの建物を爆破したり、しまいにはパレスチナとの間に巨大な壁(分離壁)を作ったりまでしたんやで。

そうこうしているうちに2004年、パレスチナの心の支えになってたPLOアラファト議長が死去してしまう。

この騒動のさなか、活躍しはじめてたのがハマスの武装勢力で、当時もロケット砲をイスラエルに打ち込んだりしてたんや。
それだけじゃなく、パレスチナ難民に食事とか医療とかを提供したりもしてて、結構支持層が厚かったんやで。
神戸でも阪神淡路大震災の時とか山口組が炊き出ししたりしてたけど、苦しい時に優しくされると人間は弱いもんや。恋愛とかでもそうよな。
お前らも気をつけなあかんで。

手を焼いたイスラエルは、「ハマスの指導者を殺せばええやろ」ってことで戦闘ヘリコプターでハマスの創始者を爆殺したんやな。2004年のことや。
しかも後継者になった次のハマス指導者もまたイスラエルは暗殺したんや。

パレスチナ市民からすると「お前らイスラエル何してんねん最近」「ハマスは我々のことをみてくれてる」と思うわけで、そして2006年、パレスチナの選挙でハマスは第一党になってしまうんや。
今はニュースで武装勢力とだけ報道されてるけど、実はちゃんと選挙で選ばれてるってのが意外やろ?

選挙で選ばれたハマスだが、イスラエルからは「うぜえやつ」「テロリスト」と嫌われてた。
1993年のオスロ合意以降は欧米のいうことを聞いてくれてたPLO・ファタハ(=アラファト議長)と比べると全然いうこと聞かないので、欧米諸国もイスラエルも経済封鎖をしていじめまくったんやな。

そうこうしてたらハマスがブチギレて、武装闘争でガザ地区を占領し、ファタハを追い出して、今の一党独裁状態のエリア「ガザ地区」ができたわけや。それ以来ハマスが武装支配してるエリアやね。
穏健派のPLO・ファタハはガザ地区から追い出され、ヨルダン川西岸地区というエリアを今でも支配してる。
こっちはパレスチナ自治政府っていう名前で国として宣言してて、日本は認めてないけど135カ国が国として認めてるハマスを国として認めてる国はないんちゃうかな。
でも選挙で勝ったのはハマス、負けたのがファタハなんやけどな。

パレスチナ自治区

ハマスが支配してるガザ地区というのは、陸側の大半をイスラエルと接していてイスラエルが作った壁があり、海側はイスラエルの海軍に包囲されてる。
唯一エジプトと接してる陸の国境から、支援を受け続けてた。
しかし2011年にエジプトを30年支配して大統領でい続けたムバラク政権が革命で失脚し、2013年には次の大統領も失脚し、支援の輪は弱くなってきてるんや。

中東戦争の頃と比べるとイスラム教のアラブ結束力の力も衰えて、最近ではドバイ(イスラム教国家)とイスラエルをエミレーツ航空が就航便を出したり、サウジアラビアとイスラエルが国交交渉をはじめたりと、「パレスチナ問題であれだけ戦った同胞たち、ちょっとワシのこと忘れてへんか?」って思ってるところもあると思うで。

ドバイとサウジ

ちょくちょくイスラエル側にロケット砲を打っても最近は迎撃ミサイル「アイアンドーム」で迎撃されるし、2014年のガザ侵攻でも、イスラエル側は民間人が7人しか死んでないのにガザ側は2000人も民間人が死んでる
でも世界は救ってくれんわけやな。
「我々の土地を奪っただけでなく、経済封鎖までして、さらにお前らの方がはるかに多く人を殺してるやないか」と思ってるわな。

ガザ地区というのは200万人が、東京23区の6割くらいの面積のところに住んでる超過密エリアで、子供が多い。
子供が多いのは、イスラム教が多産な宗教だからや。
出生率はなんと4.5もある。日本が1.3くらいやで。ワイは0や。どうすればいいんや。
人口の6割以上が、イスラエル建国により土地を失って流れてきた人たちや。恨みはあるわな。

しかしガザ地区というのは陸側は全てイスラエルに巨大な壁を建設されていて、往来はできない。できる場所がわずかにあるが、イスラエル軍がかなりの制限をしている。
海もあるが、海側もイスラエル軍に包囲されており、自由に出入りができない。
エジプト側にも陸が続いているが、検問があり自由に出入りができない。
よって、陸の孤島とか、天井のない監獄とか言われる。

こんなところに工場を作ってもすぐに爆撃で破壊されかねないし、先進国もガザに投資をしようという人もおらんから、近代化は進まず産業も生まれず、その日暮らしみたいな人が200万人もおる。しかも生活の8割を海外からの援助に依存してるっていう国家レベルのニート状態でもある。
しかし四方八方を包囲されて、ライフラインも水や電気を自国で賄えないレベルなのでイスラエルにライフラインすら握られて、常に首根っこ掴まれてる状態で最近はきてるんやな。

だからハマス側、というかガザのパレスチナ市民としても結構詰んでる状態で、何か解決策もなく、日々苦しく困窮する中でそのひぐらしの生活をしてるって感じかな。

ハマスの彼らとしては1500年くらい支配してきた土地を突然奪ってきたのがイスラエルだし、毎日のように迫害していじめて、時には殺してくるイスラエルに対して少しくらい報いてもいいだろうが!と思ってるんやないかな。
しかもアラブの盟主のサウジがイスラエルと国交を結ぼうとしてるなんて、完全に忘れられた絶望感を感じてるんかもしれんね。

パレスチナ難民について

一方のイスラエルは科学力が高く、軍事力も強い。IT産業も盛んで、今や1人あたりGDPは日本を大きく上回る先進国や。
しかもユダヤ人は海外で、特にアメリカの経済界での重要ポジションを多く持っているし、優れた起業家も多く、ガザの人を助けるより、ユダヤ人と仲良くした方が経済的なメリットがある、と考える人も多いのはあるやろね。
Googleの創業者2人も、Facebook(Meta)の創業者のザッカーバーグも、スタバの創業者CEOも、OpenAI創業者のサムアルトマンも、Microsoftのビルゲイツも、マクドナルドの創業者ですらもユダヤ人やで。

ただ、ワイもどちらの肩を持つとかはなくて、日本政府はあまり深入りすべきどころかあまりコメントもせず「停戦を願う」程度の発言にとどめるべき事案やと思ってる。
どちらとも激しい戦争をしたことがなく、経済的にも宗教的にも中立な立場でいられる戦争というのはなかなかなく、あえて首を突っ込む必要はない。

アメリカはブリンケン国務長官が熱心にイスラエル寄りの発言をしたり、日本にいるエマニュエル駐日大使もイスラエル支援の発言や活動を積極的にしてるけど、それは彼ら2人がユダヤ人だからでもあるで。個人的な意志もあると思う。

例え1つのテロ事件であっても、だいたいは後ろには長い歴史があり、時にその歴史は我々が想像し得ない長さの歴史であることもあるし、どちらが悪いとか、仲良くしなよ、とかいう言葉だけでは解決し得ないものもたくさんあったりするわけやね。
そしてそれに対する発言や支持・不支持も、それぞれの立場があったり、商売があったり利害関係があるわけで、簡単に鵜呑みにすることはしてはいかんとは思う。

日本はどちらの立場の人の意見も聞ける国であるし、言論も自由やし、これを機会に地政学とか歴史とかを学ぶといいんやないかなと思う。
いろんな本とかメディアを見るとええと思うで。

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 ツイートの内容は以上になります。
 この元ツイート主も言っているように、あえて首を突っ込む必要はないのですが、首を突っ込んで意見を言ってしまうと、現段階で私が持っている情報だけで判断するならユダヤ人側の動き方に少し疑問が残ってしまいます。
 1900年間も追い出されていた土地に執着できるユダヤ教の "教え" 、気になりますね。エルサレムがオスマン帝国支配下であった時代(イギリスがいらんことする前)からシオニズム運動が活発になり始めたとのことですが、一体何が彼らをそこまで駆り立てるのでしょうか。これは元ツイート主も言っていたと思いますが、日本民族がユダヤ人のように1900年間散り散りバラバラになったら、日本の文化は消滅してるんじゃないかなと。
 今回、宗教の大きな力を感じるパレスチナという土地の歴史の勉強をすることができて本当に良かったと思います。また、今以上に調べることがあれば記事にするかもしれません。

 最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。地図に情報を書いて画像を作成するのは、面倒ではありますが楽しかったです。また、別の機会にもこういった記事を書くことがあるかもしれません。もし、また私の記事に出会うことがあればその時も読んでいただければ嬉しいです。

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