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【掌編小説】てるてる坊主


 妻の具合がいいようなので、翔太を連れて買い物に行くことにした。
明日は、小学生にあがったばかりの翔太の、初めての遠足なので、弁当やおやつを入れるリュックを買ってやるのだ。
 もともとこころが不安定な妻だが、先月から特に調子がよくなかった。ほとんど食事もせず二階の部屋に閉じこもっていた。その妻が、今朝、おれたちのために久しぶりに朝食まで作ってくれた。いつもはばさばさに伸ばしたままの長い髪を、赤いゴムできれいにポニーテイルにくくっていた。気分のいいとき妻はいつもそうするのだ。遠足の弁当もおれが作るつもりでいたが、妻は、その準備もしてくれているようで、おれはほっとした。
 ただ、ひとつだけ気がかりなことがあった。明日の天気のことだ。天気予報は曇り時々雨、だった。初めての遠足が雨だと翔太がかわいそうだ。
「だいじょうぶよ、ママがてるてる坊主を作っておいてあげるから、明日は、絶対に晴れよ」
 玄関で翔太とおれを送り出しながら、妻が言った。おれは、うれしい反面、少し心配になった。妻は、気分がいいときはあれこれ頑張るのだが、すぐにその反動で、気持ちが深く落ちこんで、しばらく、死んだように動けなくなるのだ。
「てるてる坊主なら帰ってから、おれが作るから無理しなくていいよ」
 いつもは従順な妻が、珍しく、きかなかった。
「ここ最近、翔太のことは、あなたにまかせきりだったから、今回はあたしにやらせて。あたし、翔太のためなら、なんでもするって決めたの。特大のてるてる坊主を楽しみにしていて」
 妻のこんな、いきいきとした明るい顔を見たのは久しぶりだった。おれはすっかりうれしくなって、翔太に、予算オーバーするほどの上等のリュックを買ってやり、ファミレスでコーヒーを飲んで、夕方に家に戻った。
 リビングのドアを開いて、おれは、息を飲んだ。あたり一面に新聞紙がちらばっていた。どれも、しわくちゃに丸められたり、乱暴に破られていて、激しいいらだちを感じさせた。その時になって、おれは、妻が、工作的なことが苦手だということを思い出した。リビングには妻の姿がなかった。二階に上がろうとしたら、先に上がっていた翔太が降りてきた。
「おっきな、てるてる坊主」
 無事にてるてる坊主が完成したことにおれはほっとしながらも、妙な不安を感じた。翔太の様子が変なのだ。どこか眠りからさめたようにぼんやりとした顔をしている。おれは二階に駆け上がった。開け放たれたままのドアの隙間から、特大てるてる坊主が天井からぶらさがっていた。新聞紙でくるまれた背中に垂れた髪をくくる赤いゴムが薄闇に淡く浮かんでいた。(了)

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