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「話を聞く」って難しい

もうきっと半分も忘れてしまったことの連続で私の人生はできていて、それを忘れないためにある透明な箱の外側が言葉なんだと思う。パック寿司の外側みたいに。

ハマる取材とハマらない取材。準備の質だけじゃない何かがそこにあるような気がする。人と人、だからもちろん相性も少しはあるだろう。でも「相性」に逃げてしまうのは、テストの点が悪いことを体調のせいにするのと似ている気がして納得がいかない。アイスコーヒーの氷をストローでカラカラ混ぜながら、さっきからそのことばかり考えている。口の中がさっぱりすると、頭の中も整理されるような気がするから不思議。

数分カラカラしているうちに、自分はもっと聞き上手だったはず…という思い込みを恥じた。こちらの自我を手放して相手に気持ち良く会話の主導権をにぎらせることと、取材として記事になる「核」を探しに深く潜ることは全然違う。日々仕事で取材をしていると自分の話の引き出し方の下手さに愕然とする。

前職の時に、予定稿(近い将来起こりうるであろうニュースについてあらかじめ制作しておく記事)と質問案は近いものがあると教えてもらって以来、かなりガチガチに質問案を作るようになった。記事の軸になるような曖昧で大きなテーマ性のある質問から、いわゆる定番のものまで。

もちろん、それだけを準えていてはいいものにならないことはわかっている。だからそこは当日の空気を見て掘り下げていくわけだけど、これがどうにもうまくいかない時がある。事故があったわけではないけど、個人的に不発。記事にはなるけど、もっとできたんじゃないか、みたいな。そういう取材を減らしていきたい。

少し前に読んだとある日記に、「日常にある本当の感動は固有名詞に宿らない」みたいなことが書いてあって、それが魚の小骨のごとく、小さく深く刺さっている。観た映画、読んだ本、消化できた仕事……そういうものの数で日々を図ってしまいがちだけど、全部誰かに用意してもらったものでしかないことに頭をガツンと殴られた。

今の自分は、少々すでにある言葉に頼りすぎていて、不発の原因もそこにある気がする。言葉の周りにかかっている靄への感度が鈍い。もう少し自分でちゃんと見つけていきたい、固有名詞じゃない幸せ。



2023.10.23

すなくじら

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