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【7】教員側が一つの物差しではなく、多面的な評価軸をもてるか。(不登校からのキャリアデザイン⑦)

※この記事は2019年8月18日に京都市で開催した、イベント「不登校からのキャリアデザイン〜「行かない」の先を、生きやすく。〜」における講演・パネルディスカッションの書き起こし原稿になります。登壇者・主催者のプロフィールはこちら


パソコンを渡した瞬間に変わった子。これはその子の問題ではなく、評価する側の問題。

中:中学校で定期テストの成績が悪い子がいました。N高校に入ってくるとき内申書を見ますが、成績は非常に悪かったです。この子は、限局性学習障害でとにかく書くことが苦手だった。書けるけれども、ゆっくりゆっくりしか書けない。中学の定期テストで50 分、使う道具は紙と鉛筆。よーいドンで始めても、50 分の中で書き切れない。だから成績はいつも悪いし、内申も悪かったです。

N高に入ってくるときも、お母さんが「ちょっと成績がね、勉強が苦手なんです」と。N 高校の試験は実はレポート、パソコンでやるんです。この子は、書くのが苦手なだけで、パ ソコンのタイピングは普通に打てました。N高校に入ってきて、最初の試験を受けたら「満点」を取ったんです。

できていたんです。わかっていたんです。実は。要するに 50 分の時間の中で、紙と鉛筆でやることでその子の評価をするしかなかった。それをパソコンを渡した瞬間に変わった。これはその子の問題ではなく、我々教員側の問題です。評価する側の問題。本来は子どもに申し訳ない話なんです。 でもそれを学校現場に要求しても、やはり学校現場としては仕方ないところはあります。対応しきるにはどうしても限界がある。しかし、N 高校に入ってその枠を取った瞬間に、その子の能力が出たということなんです。

一斉授業に向いていない子はたくさんいるんですね。教室の授業でね、我々が教室で授業するときって、授業の平均速度というものがあります。40 人のクラスだと、だいたい半分 がうんうんわかったなっていう顔をしたとき。次いこうかとなります。半分くらいはまだわかっていないなぁとなっても、授業の平均速度があるから仕方ないんです。中には、もうわかっているからイライラしている子がいる。先生早く次行ってよと。教科書次のページやっているような子。

あとは、先生ちょっとわからないなっていう顔をしている子もいる。本当はもうちょっとゆっくりやってよという。本当は自分のペースで学ぶことが向いている子がいます。それはご両親はわかられていると思います。学習塾でも個別指導が向いている子はいますから。それは、学力の高い低いではないということです。学ぶペースがその子に合っているかどうか。

一斉授業っていうのは、それができないんです。もうそういう仕組みになってしまっているからね。子どもの能力が発揮できない仕組みになってしまっているのもあると思います。 子どもが悪いんじゃないと。個別学習が向いている子がたくさんいるんです。

よかれと思って、していた配慮。 実はそれが配慮される側の子どもにとっては・・・?

中:N 高校の生徒、自宅にいながらも高校生活をエンジョイしています。何かと言うと、ネット遠足です。ドラゴンクエストというゲームを遠足にしています。最初はちょっとやりすぎじゃないですか?と非難されました。ふざけすぎじゃないですか?と。でもやったんです。 すると、仙台のお母さんから連絡があって、お子さんがネット遠足を喜んでいたと。

そのお子さんは、心臓疾患をお持ちでした。小中での遠足ってほとんど行けなかったそうなんです。みんなが遠足行っている間は保健室で待っていて、帰ってきてHRだけ一緒にするという。だから遠足とか行事が嫌いになってしまいました。それで少しずつ学校と疎遠になって、N高校に入ってきました。そこでネット遠足に参加しました。喜んで、楽しかったと。よかったなぁと思いました。

小中では、クラスの中で自分に配慮してくれる。ゆっくりでいいよ、慌てるなよ、と。我々もそう言いますよ。慌てさすなよ、みんな待ってあげようねと。でも、この子はそれが嫌だったらしいんです。特別扱いされることが嫌だったんですね。

ネット遠足で、その子が何と言われたかというと、「速く走れ!急げ!」と言われて、 それが嬉しかったって言うんですね。そうかぁと思いましたね。よかれと思って、それが当たり前と思って言っていたけれど、実はそれが子どもにとってはどうなのか?

我々が常識で思っていたことがどうなのか?と。学校で、子ども同士が直接会うということを 1 つのゴールにしていた時期もありました。できるだけ学校に早くおいでよと。コミュニケーションがリアルにとれることが 1 つのゴールだと。

でも、曽和さんが言われたことと同じで、子どもにとってはコミュニケーションってそうじゃない。自宅にいてネットを使うことも、十分子どもたちにとってはコミュニケーションになっている。

語らうことも心を解放することも、リアルよりもネットでコミュニケーションを取る方が自分を出せるという場合もある。もうちょっと僕たち大人側の方が、目線を変えていった方がいいのかもしれないかなと思います。

一つの物差しではなく、多面的な評価軸をもつことの大切さ。

中:N高校の子どもたちに学ばせてもらっています。既存の教育の枠や常識にとらわれていたのは、我々教員側。その教員の枠を取った瞬間に子どもたちは、可能性がどんどん伸びていく。我々がその可能性を閉じ込めていたんじゃないか、本当にそう思いました。既存の学校で能力を出せなかった子を輝かせるというのは、教員側が評価軸をたくさんもてることなんです。

学校の教員の評価軸は、ものさし 1 つしかないんです。内申書をつけるとき、やっぱり成績重視になります。50 分の授業の中で教室で紙と鉛筆で成績をつける。学級の中で人とコ ミュニケーションがちゃんととれているかというのが、やっぱり評価になります。その評価軸しかもっていなかった。

でも、もし多面的な評価軸を教員がもつことができれば、その子どもたちは社会の中で活躍できる人材になったかもしれない。もっと早く我々が気付いていたら、可能性を伸ばすことがもっとできたかもしれないと思います。申し訳ないなと。

本当は彼らこそが、社会の埋もれた宝物だったんです。

劣っているんじゃないんです。

そんなことを、この 4 年間N高校でやってきて、本当に感じています。

【連載:不登校からのキャリアデザイン】

https://note.com/sunaba_corpo/m/m2f2850979f50

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