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なぜキツネはいじわるなの?

キナリ読書フェスの課題図書[くまの子ウーフ]を読で、疑問に思ったのは
「なんでキツネはいつも物語の中で意地悪く描かれているんだろう?」でした。

[くまの子ウーフ]に登場するキツネのツネタが、私には意地悪に見えてしまって、そんな風に考えたのでした。

作者の神沢利子さんはツネタのことを2006年晶文社講演会の中でこんな風に話されています。

ツネタが刺激することでウーフも成長するといいますか…。私は自分では「なかなかツネタはイカすよね!」と思っているから、「もっとツネタを好きになってよ」と思ってしまいます。

作者は意地悪に書いてやろうと思っている訳ではなくて、私が意地悪に受け取ったということなのですが、この「キツネ=意地悪または悪者」というイメージがどこからやって来たのか気になったのです。

そこで「キツネ 意地悪く書かれるのは何故」でネットで検索してみたところ知恵袋にこんな質問を見つけました。

狐と狸ってどうして悪者扱いなんでしょうか?
江戸時代になぜ人を騙すキャラが生まれたのでしょうか?

この質問に対する回答を要約すると

日本ではキツネは神様として良いイメージを持たれていたが、玉藻前(九尾狐)という凶悪な妖怪の伝説を持つ中国のイメージが入ってきて、キツネは神の使いというイメージとズルイ・化ける・騙すの二重のイメージが定着してしまった。

ということが書かれていました。

そしてキツネに化かされるという部分から[日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか](内山節)という本を知り読んでみました。

この本は「キツネにだまされたという物語を生みだし続けた歴史を、なぜ私たちは失ったのか。」という問いから、日本の近代化とは何だったのか、という事が書かれていた歴史哲学の本でした。

私の疑問に関係する本ではありませんでしたが、テレビの登場によって変わった情報の伝達方法のことなどが書かれていて、考えたこともなかったことに触れられて面白い本でした。

結局、なぜキツネが意地悪く描かれているのかの答えは見つからなかったので、これからも考え続けたいなと思っています。

もう一つ「クマはなぜ物語の中で良い感じに描かれているのか。」という事も気になりました。

現実の世界ではキツネよりも圧倒的脅威であるはずのクマの方が何故良い感じに描かれている事が多いのか不思議に思いました。

そこで「童話の熊の描かれ方」でネットで検索したところ、

絵本における動物表現をめぐって:熊の歴史から考察する

という河合優利佳さんが書かれた論文を見つけました。

この論文を読んでも、クマが良い感じに描かれている理由は掴めなかったのですが、神話や宗教でどう描かれているのかが書かれていました。

キツネのクマも神様だったり人智を超える力を持っている生きものとして描かれているのに、どうしてキツネの方が意地悪に描かれがちなんでしょう。

見た目の話をすると、クマはティディベアのイメージもあって、可愛らしい印象が加点されている気がします。加点されているのは見た目が可愛いのと、ずっとそばに居て欲しい安心感とか、そういうものです。
キツネは目が細くて、可愛いというより美しい見た目なので印象がきつくなってしまうのでしょうか。キツネのお面はカッコいいけれど、そばに置いていても緊張してしまう気がします。

でも今は「たぬきときつね」のようにコロコロと可愛らしく描かれているキツネも増えているので、もう少し時間が経ったら、キツネにも可愛らしくて愛される要素が加えられるのでしょうか。

かいけつゾロリもキツネがユーモラスに描かれていますね。

全然関係ないのですが、映画「かいけつゾロリ ZZ(ダブルゼット)のひみつ」はゾロリーヌ(声優 百田夏菜子)が最高に可愛いので絶対に観て欲しいです。

話を戻すと、でもウーフはティディベアのイメージではなくて、ちゃんと爪が描かれていて生きている子熊のイメージで描かれているのです。
なのでティディベアの系譜で良い感じな印象で描かれているというとのも違う気がするのです。

クマがなぜ良い感じに描かれるのかについても考え続けたいなと思います。

[くまの子ウーフ]の感想文はキナリ読書フェスの選考期間内にアップしているのですが、この疑問の事も書きたかったので追加で書きました。

このnoteでも書きましたが、キナリ読書フェスが楽しかったので、まだひとり黙々と楽しんでいます。

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