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ノンフィクション: 【冷蔵庫】

今日はとても暑くて、熱暑日だった。外は38℃。自分の体温が35.7℃なので、ヘロヘロでダウン寸前だった。

日中、気分が悪くなり、製氷皿がないまま購入してしまった中古冷蔵庫を、私は恨みがましく睨みつけた。

あん。つい忘れちゃうけど、製氷皿は必要だわ、夕方になったら、出かけなきゃ、と憶えて置くように、自分に言った。暑い日中の時間に出かけると病気にでもなりそうに感じる。

もう二年以上も前になるのか、当時、使っていた大型冷蔵庫が、少しずつ、壊れ始めた。モーターが切れたかの様に大きな音を出して、こちらは
「あ、コレは切れるな」、
と思い始め、神に給料日まで持たしてくれる様に祈りつつ、毎日ヒヤヒヤした。

神の恵みで何とか給料日まで持ってくれた。給料日に中古家庭用品をいつも頼む店にオーダーが出来た。

それを知ってか、知らずか、老齢の冷蔵庫は、製品が届く前日、或る朝、大きな音を立てて、一切、動かなくなった。私にとってみると、まるで老齢の冷蔵庫が、意識的に給料日を待って、その後、「意識的に」亡くなった感じだった。

コロナ禍のちょうど真ん中辺を切った頃まで、その大型冷蔵庫は我が家の冷蔵庫だった。

考えてみると、凄いロス感だった。

我が家がN馬区を後にして電車で一時間弱のS県K越市に越した頃から、私の家族の使う冷蔵庫はこの大型冷蔵庫だった。約20年間、一日も壊れずに、よくここまで頑張ってくれた。長い間、世話になったので、何となく感慨深かった。

前の晩に、冷蔵庫を掃除して、必要ない物を全て廃棄し、電源を外したら、大きな騒音を立てていた、もう冷やさない冷蔵庫のモーターが静かになった。まるで息を引き取った瞬間みたいだった。

家族で利用したものがこうやって一つ一つ、わが手から無くなっていくのを見ていると、感慨深かった。

冷蔵庫の扉を、友達の肩を軽く叩くようにポン、と叩いて、私は言った。
「冷蔵庫さん、ご苦労さん。エラい、お疲れさんでした」
頭を下げた。冷蔵庫に。

その夜、電源を外して、大きなプラグを上に向けて放電するように放置していた私は、風呂から上がった際に、脱衣所にまで長々とはみ出していた冷蔵庫のプラグがあったのを目に入れず、見事にその上から右足でグサリと踏みつけ、ぎゃあ、と叫んだ。

時間は深夜過ぎ。救急車を呼ぶには大げさな感じがした。これで死ぬとは思わなかったので、手当てをして休む事にしよう、とした。傷口を見ると、プラグの電源に刺さる部分がすべて私の脚の裏に刺さっていた。
刺さったプラグを引き抜き、噴き出した出血を止める為にタオルを一つダメにした。だが、出血は続かなかった。足の裏に大きな血管が無くて、神を見上げて、感謝した。

翌日朝、リモートで仕事をする職場の直属上司に、電話で話した。
前の晩に発生した事を話して、通院の為に午後に休みを貰いたい、と依頼した。

話を聴くだけで、悍(おぞ)ましそうに痛そうな声を上げた上司は、言った。
「うわっ。痛そうだなぁ。あぁ、鳥肌立っちゃった。もういいよ、血の話は。出血は止まったの?あぁ、良かったな。気を付けないとね、〇〇さん」
「はぁ。すみません、忙しい最中にこんな事で。一時間で帰れるように――」
私を黙らせるように上司が挟み込んできた。
「あのね、〇〇さん。こう言う事はよくある事だよ。怪我なんてね。
今日の午後と言わず、今の今、今すぐ行って来た方が好いよ。
うん、そうしなさい。
昨夜踏んだんでしょ?夜中?じゃ、時間経ってるよね。
今、夏だろう?膿んじゃったら、手が懸かるよ。
大変だし。
あぁ、時間取って好いですよ。今日休んでもいいし。ぜひお医者さんに宜しく伝えて、うん、面倒見て貰ってね」
と言って、お大事にね、と四の五の言わせずに電話を切った。

そこで、出来る限りの用意をして、脚を引きずりつつ、朝の11時には外科病院で次の番を待っていた。

ここの外科医には、一年に一度、診察に着ていた。

毎年、珍しい怪我ばかりを負って来院する私に、若院長は笑って言ったものだ。
「前の院長は君のお父さんの通風を面倒見たもんだが、君の場合は、何が来るか、全く分からない。でも、毎年、一年に一度、そろそろ来るかな、と思ってると、来るんだよね」
その前年は異常な程腫れ上がった膝の鵞足炎だった。

今回の脚の裏の傷を見やり、手袋をして、脚を掴んで、ライトに当てた。
脚の裏の傷を広げて、悲鳴を上げる私に言った。
「まぁ、今から縫えば、2~3週間、風呂は入らずにシャワーだね。
その際に、ビニールなり何なり、傷を水分から守って。
それから、二週間はビールなしね。傷が開くから、呑んじゃだめだよ。
ん?呑まない?あ、じゃ安心だね。
とにかく、水には漬けない事。
日本の水道ってさ、黴(ばい)菌、いるからね。こういう傷は黴菌がはいると、困るんでね。」
上司が言っていた言葉を思い出しながら頷いた。
「うん…、どれ、深さを見よう。あぁ、結構深いね。…、う~ん、約…3㎝かな。痛い?そりゃ、痛いだろ。薬をあげるので、呑むように。どれ、ちょっと縫うか。よくまぁココまで酷く刺さったものだな」
と、消毒薬を入れてから、注射して局所麻酔後に2針ほどちゃっちゃと塗ってくれた。さらに膏薬を縫って、廻りを古い油紙の様なもので守り、厚ぼったい包帯を巻いて丁寧に手当を始めるようにナースに合図した。

この騒ぎと冷蔵庫の中古オーダーと仕事が三つ巴えになり、私自身には凄く大きな面倒と頭痛の種だった。

新しい冷蔵庫が来たのは翌日。それまで、多少、金があったので日に一度、出前を頼んで、食事をした。冷蔵庫が悲鳴を上げ始めてから、惣菜は購入しなかった。

まだまだ、マスクをつけていた頃だった。冷蔵庫の到着時、玄関のブザーが鳴って、マスクなしだった私が扉を開けた時、作業員はことさら厭な顔をした。

「マスクくらい、してください」
「あ、ごめんなさい」
中にどかどか入って来た作業員は、大きな前の冷蔵庫を見て、驚いた顔をした。
「随分大きかったんだね。今の奴、今度の冷蔵庫、サイズ、2分の一以下になるけど、お客さん、好いの?」
タオルの鉢巻をした作業員が私に尋ねた。
「はい。家族は皆、亡くなってしまったし、、、もう、私が使うだけなんで」
「了解。じゃ、ごめん」、
家族が亡くなったと言われて、余計な事を言ったと思ったのか、作業員は、自分の頭を叩いた。
「あ~、えっと、それじゃ、開始しましょ。好いですか、先ず、古いのをホゥヘイが持って行きます。新しいのを、こちらに運びます。テーブルをのけましょかね」
家族が居ない事が分かって、急に親切になった作業員は、私に手伝ってキッチンに堂々と座っていたテーブルを部屋の隅に除けて、大きな冷蔵庫が持ち上げられた。

作業員は助手の外国人、ヒスパニックの「ホゥヘィ」に合図した。ホゥヘィは、2m近い感じの良い大男で、私にニコッとして、大きな冷蔵庫を軽く一人で軽く、持ち上げた。

以前の冷蔵庫に比べて二分の一の大きさの冷蔵庫は、装着後、さっそく稼働した。1㎡程の高さで、奥行きがあった。中古だが、結局はワンオーナーで、直ぐに売りに出したのだそうで、冷蔵庫そのものはほぼ新品だった。
「新しい冷蔵庫さん、今後、宜しくね」
新しい中古の冷蔵庫の一番上のパネルにトースターや電子レンジを重ねて、そう言った。

聴いていた作業員が、満足そうににっこりして受領書や限定保証書を懐から出して、私に渡した。

冷蔵庫のサイズは、一人住まいにはちょうど良かった。2時間ほど放置したら、たぶん冷凍室も冷えるようになるので、少し待っててね、と作業員から指示があり、その後、彼らがさっさと帰った後、静かなキッチンへ入れる物を、今度はオンラインの〇天〇部で注文した。

と言っても一人暮らしだし、そんなに凄い量にはならない。野菜以外の加工品は精々数千円も使うと結構持っている。今までの総菜の買い方をすると、中に居れるものがスペースが足りずに、困るから、少しずつ、容量を測りながら、あ、と気が付いたのは後の事だった。
――製氷皿が無いな。


――あの時、何で直ぐに買わなかったのかな。
あの古い冷蔵庫は、冷たい水を作ってくれていた。だから、あんまり気にしなかったんだ。死んだ家族を想う様に、冷蔵庫の事を考える自分を、私は笑った。

長い時間を家族と共に過ごした冷蔵庫は、もうここにはいない。墓場などないし、たぶんゴミ捨て場に打ち棄てられたか、もう朽ち果ててどこかに埋められたかだろう。

だが、私には、初めての経験だった。


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