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落日~SUNDOWN~

私はまだアメリカにいる頃、ミスティシズムに傾向し、天井に浮遊した状態で移動していた最中に、突然、身体に戻った前世?の自分自身が死ぬ瞬間を、自分の目で見た明確な記憶がある。

夕方、落日の時間帯で、私は当時欧州の人間だった様子だ。教会にいたような気がして、この時の経験が原因で、後々、神への信仰のほかに、在米教会のメンバーに加入したのかもしれない。私はある建物の中央部分にいた。教会の聖域区内 (教会の)に居たようだ。

この話をした時、私はまだ在米中で、学生だった。

私の話を聴いていた英語学の主任教授で私のアドバイズメントをしていた方と話していたが、 (のちに方向性で合意せず、結局アドバイズメントを受けられなくなった)、非常な現実主義者な方だった。
彼は私の話を聴いて直ぐに、
「そういうことを考えるな。たかが夜に見た夢だろう」
と決めつけ、それ以上の話を聴いてくれなかったが、30年経過してもいまだに私は自分の前世の死の瞬間である、と思っている。

前世の私が死んだ時、丸くて尖がった天井にシャンデリア?が下がっていて、天井の赤と黒の升の様な格子柄が、息が身体から抜けて行き、私が苦しみに襲われながら、シャンデリアに向かって手を伸ばすと突然、前世の恋人?が私を心配しながら何か大声で言っている。私には聞こえない。突然視界がすべて黒くなる。
—―暗転。
「あ、死んだんだ」、
と思った。


以前、90年にヒットしたアメリカの『フラットライナーズ』と言う映画がある。あなたは観た事があるだろうか。

コレはアメリカ滞在時の私の心に刺さった映画だ。4人の医学生がルール違反して自分達の仮死状態を実験してその際に直面した別々の過去の問題が表面化する心理劇 (神様がバチを当てたような感じ💦)だが、その映画の中で、
「人が死んでしまうと」、
コレが起こる、と言われている、

カメラは、美しい花々や平原、美しい季節感を秒単位で通り抜けていく。
人は死ぬと、身体は浮遊していて、終いに野原や美しい原っぱや花々を超えて、空に向かって飛んで行く。
さらに金色がかった雲の中に入って行く。
登場人物達は皆、まだ若い医学生であり、将来があり、神は彼らを受け入れてくれなかったので途中から画面が変わっていく。

だが、この映画で観た、美しい野原や空や花々の中を凄いスピードで抜けて行く画面は印象的で、フィルムで観た感じは、私が見た自分の前世の死の時に見た風景だった。

心に残り、また、実際に浮遊状態を経験した人々の残したメモや日記、書物の色々で似た様な事を証言していた本をたくさん読んだ。

この映画での野原を魂が駆け抜ける表現は、多分事実だろう。


私が死んだら、時間を超えて、大自然の中を駆け抜けていくのだろうか。

落日の時間帯に現世でも死ぬのだろうか。教会の聖域のような建物の中で?

だが、好き彼はクリスチャンではない。好き彼には逢えていない。どうせ死ぬなら、好き彼の腕の中で死にたい。

ねぇ、あなたの胸の中の『空』に抱かれて、あなたの腕の中で死にたい。
生きてるうちに愛し合いたい。

…。彼に逢いたい。




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