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死に物狂いのメモ用紙

一度、文章にしてしまえば、きっと収まるだろうと思って文章に書きだすことにした。昔から落ち着かなくなってくると、文章を書く癖があって知る人ぞ知る「誰か、助けてください。○○はもう壊れています」って暗号めいた文章が恐ろしくも完成してしまう。mixiのアカウントを消そうと思った日も、こんな文章であふれていた覚えがあるから、たぶん私は中二病から抜け出せていないのだと思う。
今日は一度、wordの真っ白に画面にこの文章を書き始めた。Facebookなんかに書き込んで、私の周りの知る人ぞ知るの私の大事な友人たちにご迷惑をかけしたくなかったし、きっといい大人はしんどい時にしんどいって直接言えるよう信頼できる人が居てるもんだととか、そんな風にも思うようになったのもあって「いつものあたし」を今回初めてやめてみた。それに1カ月前のあたしは「しんどい助けて」と殆ど持ち合わせていない勇気をそれはもう振り絞って(その勇気を振り絞る工程で一度泣いてしまうくらい)、大切な友人に電話をかけてみたりした。その効果でもしかしたら、今日は真っ白のwordの画面に文章を書けるようになったのかもしれない。
何処でそんな残念な癖がついたのだろうと思い返すと、きっと悔し涙を誰にも見られたくなくて、競技場の片隅で小さくなって声を殺して泣く習慣がついてしまったからだろうな。とか、そういえばその当時も中学2年生だった気がする。とか、どれだけ挑戦しても表立って強気になれないあたしは被害の少ない「天然でちょっと変な子」のレッテルを全面にへばりつけていたし、真面目で鈍感な顧問の先生は「何故君はそんなに悔しそうにしないのだ」と言っていた。ちょっと目立つと輪から外れてしまう中学生の世界感に起きた事柄がこんなにも尾を引っ張るなんて当時は知る由もなかったし、今の私だって、ほんのさっき気が付いたくらいだ。でも、もしそんな中学生に出会ったりしたら、今の私は「頑張ったから涙がでるんだよ」と声をかけてあげたいと思う。
特に今日は無意識に萬葉集を読みだしていたから、もう、末期も末期だと思う。これで何かとんでもないきっかけでもありさえすれば、私は、それは綺麗に暴落する。こんな文章を何故、わざわざnoteに転載したのかというと、会ったことのない人の心の底に眠る文章に何度も救われたことがあるからで、いつもより読みづらい文面なのも、この文章が私の自己満足でしかないからで、いつか読み返して、未来の私が笑えればそれで良い。と思っているからで、もしもの先のもしもに、この文章で救われる人がたったひとりでも居たら、いいなぁと思ったからで、それ以上の深い意味はない。
なんとなく調子が悪いことも新月の所為にしみたり、流行の占いを何度か読み返してみたり、私の未来に対してのこの不安感は何処からやってくるのだろうと、またコタエが出そうにない議題を頭の中で反芻する。過去の自分の文章を読んだとき、大抵は鼻で笑う程度で終わるから、きっと次にこの文章を読むときも同じようなリアクションになるのだろうと思う。そんなこと書いているうちに、もう1000字を超えてしまった。少し、落ち着いたから、手元でタロット占いをして、明日の準備でも始めようと思う。

PS.結局いつも手に取る洋服は肌に良くなじむ、着慣れた服だった。

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