子どもたちへ、未来へ、暮らしを繋いでいくこと
すもも荘へ想いやこれからの未来について書いてみました。
すもも荘のホームページはこちら
私のすもも荘の構想は、2017年のプロジェクトが始まった頃から私の脳内にはあるのですが、
・こんなイメージ!というのが脳内にあるのにも関わらず、絵が描けないので表現できない
・そもそも言語化するということをちゃんとやってこなかった
という理由で、これだけすももメンバーとも家族とも共有しているはずなのに、なかなか共通言語みたいなものが明確に出せてなくて曖昧になっていました。
(そして今メンバーたちにお尻を叩かれて笑、苦手だと思っていた文章で伝えることを決意しました!)
お陰様ですもも荘も4年目に入りましたが、
ちょうどコロナが始まった2020年4月がスタートだったので、
「始めたはいいけどこれからどうなるんだろう。。。」
というあの頃のすもも荘では想像ができないほど、私がこの場所に創りたいと思ったすもも荘を少しずつ実現している今、
2017年よりももっと遡って、私の子供時代の記憶も交えながら伝えられたらと思います。
とっても長くなると思いますが、よろしければ読んでみてください。
コリビングハウス&スペース乗鞍すもも荘の「コリビング」って?
Google先生によると、
『コリビングは、これらの良さを取り入れた、快適に生活できて働ける「住職一体型施設」』
👆だそうですが、
すもも荘はそれに加えて、
共創・きょういく(教育・共育)の場です。
「共に育み、共に創っていく」
私たちの先祖はそうやって繋がり続け、後世に暮らしを脈々と受け継いでいます。
つまり、私は子供たちに残したいと思う未来を、すもも荘を通して伝えていきたいと思っています。
次世代の子供達にとって
「自分らしく生きられる」
「人と繋がれる場所がある」
「帰れる場所(人)がある(いる)」
私自身、乗鞍の小さな地域で育ち、乗鞍を出た後は高校は県内のマンモス校へ(県内でもいろんな人がいる!みんなキラキラしているように見えた)、19歳で東京→アメリカのコミュニティカレッジ2年間(田舎町だったから、アジア人を見る目が珍しそうだった)→東京で就職し結婚。
今は小学生2人の子育て&仕事をしながら暮らし、今までいろんな人たちと関わってきた経験により、子供たちにはたくさんの選択肢を持たせてあげたいなと思うようになりました。
選択肢なんていっぱいあるじゃん?って思いますが、今は情報がたくさん飛び交っていて、大人でさえ選択していくことが難しいと感じます。
それなのに、近くにいる大人は親しかいないなんて状況が多くて。
親や先生だけでなく、いろんな大人がいるんだよーってことを伝えたいだけなんですが、なかなかそれができないのが核家族化した戦後からの今の時代なんだなぁと実感しています。
私自身、乗鞍で過ごした子ども時代に、もっと暮らしや仕事の選択肢を見れて、知れたら良かったな~と、単純に思っています。
職業は、テレビで見る警察官とか、学校の先生、乗鞍でほとんどの人が従事する観光業など目に見える仕事だけしか知らなかった。
仕事を新しく創るなんて想像も出来なかったし、乗鞍に残るならペンションを継ぐしかないなと思っていました。
でも今は色んな情報取得ツールもあるので、それも使いつつ、
最終的にはネットではなく、リアルにたくさんの人に出会って、話して、
それぞれの生き方をいっぱい知ってもらい、子どもたちの選択肢を増やしたいなと思い、すもも荘という場を開いています。
何よりも周りの大人が愉しく生きていることで、
子供たちはそんな愉しそうな背中をいっぱい見て、将来の夢を膨らませていってくれるのではと考えます。
すもも荘はミックスジュース!
2017年、初めて東京都文京区にある「千石たまご荘」に行った時、10年間東京で暮らしていながらも、自分の暮らしや身の回りのこと、地域のことに目を向けていなかったんだと、恥ずかしながら思った記憶があります。
その頃は当時上の子4歳下の子1歳で、フルタイムでの仕事(それでも子供中心に動かせてもらった有り難い会社でしたけど)に追われ。
誰にも頼らず保育園の送り迎えや家事全般、全部をこなすのがすごい母、かっこいい母と思っていました。小さいことでも少しずつお願いすれば良いのに、勝手に自分で目の前のことだけでいっぱいいっぱいになって、イライラして、本当に悪循環だったなと思います。
でも千石たまご荘というコミュニティスペースで、
「地域の人の居場所を作る」
「子育て中のパパママへのサポート」
「災害があった時のために、定期的に〇〇の活動をする」
など、自分のことや家族のこと、それに加えて地域のことに真剣に向き合っている姿を見させてもらいました。
そこで、「私は毎日家と職場の行き来だけで良いんだろうか?私のやりたいことってなんだっけ?」と考えるようになりました。
家族との時間を大切にしながらも、その中で自分は何がしたいか、、実はあんまり考えてなかったです。
「としえちゃんのやりたいことって何?やれる事と、やりたい事って違うよ」と言われて、パッと浮かんだのが、
「乗鞍に帰る(関わる)こと」
それがはっきりとしたことで、
「乗鞍に帰りたいけど、帰れない」を解決しよう!
解決できれば「乗鞍に関われることができる!」と思い、
2018年に「みんなのシェア別荘at信州乗鞍プロジェクト」が始まりました。
東京で子育てをしてみて、改めて乗鞍での子供時代を思い返すと感じることがたくさんあります。
それは両親以外の周りの大人にたくさん関わってもらって見守られていたことが、今の私に繋がっていてるなぁと。
乗鞍での子供時代はこの地域にいることに少し窮屈に思ったこともありましたが、いざ外に出てみると、当たり前ではなかったことがたくさん。
例えば、コール乗鞍キッズ(地域のコーラスグループ)で日常的に音楽にふれ、長野市のMウェーブやスイスグリンデルワルト村訪問・ネイチャーウィークでの発表、手作りのお菓子をみんなで作って見にきてくれたお客さんに売ったり、乗鞍岳や高原内のゴミ拾い、クロスカントリーの練習や大会への参加、3,000m級の登山や徳本峠からウェストン祭への参加、などなど。
この地域で暮らす人々の多くは観光業に携わっているため、土日に親が忙しく、学校は休みなのに休みではないという子供が多いです。
でもそんな環境だからこそ、地域の大人たちが協力し合って、地域の子供たちを一緒に育てています。
当たり前のように地域みんなで協力して暮らしを作り、子供たちの成長を共に喜ぶ姿は、私が今暮らす東京ではなかなか見られないです。(地域にもよりますが、マンションの隣の部屋の人が誰だかわからないなんて都会では普通ですよね)
だからこんなに成長を大人たちに喜んでもらえる乗鞍で育った私は幸せだなぁー!と純粋に思います。
なんなら20年ぶりに乗鞍に戻った今もまだ応援してもらったりして、本当に幸せをかみしめています。
しかし、私の子供時代から25年くらい経ち、現在の乗鞍の子供の人数は、今小中学生合わせて30名弱ととても少なくなってしまっていて、これから乗鞍から子供がどんどん減り、こんな幸せな環境で育つ子がいなくなってしまうのではないか、という心配があります。
(私が中学を卒業する頃までは、小中あわせて120人くらいはいたと記憶しています)
乗鞍の小規模校の特色を活かした教育体制であることはとても良い環境だと思っています。
ただ、例えば学童や児童館がないなど、市街地には当たり前にある環境の整備ができていないことで不安を感じるお母さんたちは少なからずいるよなぁと。行政にもなかなか解決出来ないものなんだなと、いろんな現状を見て感じています。
この危機的状況を回復させるために、誰かの動きを待っているだけでは遅すぎると思い、すもも荘は活動を続けています。
道草をしながらの登下校、学校帰りに友達と安心して遊べる場所、学校以外の人や地域外の人とも交われる場所、そんな場所が地域に1か所でもあったら、地域で暮らす子供たちの居場所になり、地域が存続するために必要なことなのではないか?
何よりいつかは、人が少ないからという理由で早く松本市内に降りていくという構図を無くしたい。
乗鞍で育って、暮らすことを誇りに思って欲しいし、高校生や大学生になってもこの地で学ぶことができるようになり、その中で子どもたちが選択出来るようになると良いなと思っています。
そして生まれた、すもも荘ミックスジュース構想。
いろんな人が集まって、それぞれに自由に過ごすことができ、自然に色んな人の生き方を見られる、そんな場所にすもも荘はなりたいです。
そんな脳内にあったミックスジュース構想を実現させる一つとして、
2023年1月からのりくら自然保育木のこのきこちゃんやすももメンバーに協力してもらい、週一回ですもも荘の開放日が始まりました。
子供たちの学童、未就学児の親子の児童館、地域の人の公民館、、、誰でもふらっと遊びに来られる、そんな場所になれば良いなと思っています。
乗鞍やすもも荘は、誰かの記憶の片隅にあってくれたら嬉しい
私は乗鞍で育って、乗鞍での暮らしを知ってほしいと活動をしていますが、正直ずっといて欲しいとかずっと関わって欲しいとは思っていません。
私自身の子どもたちにもそれは強要しないようにしています。
彼女たちの人生なので、「すもも荘を継いでね」とか言いたくない。
乗鞍の環境は1つの選択肢として伝えるけど、それ以上は彼女たちの選択を尊重したいと思っています。
私の子どもたちだけでなく、乗鞍やすもも荘に来た子供たちも同じで、
将来大きくなったときに、
「こんなところ行ったなぁ」
「こんな人たちいたなぁ」
「なんか面白い場所だった気がする」
みたいな感じで、その子たちの記憶の片隅に乗鞍やすもも荘があれば良いなくらい。
ほんの片隅にいてくれたら、何かしらの経験がその子の人生に繋がると思うので、そうであったら嬉しいな。
自由に選択すればいい
乗鞍の良いところ、こうした方が良いところ
東京の良いところ、こうした方が良いところ
それぞれに良いところ、もうちょっとこうした方が良いよねということはあります。
私も東京から離れず、乗鞍と行き来している理由は、どっちも好きだから。
だから、子どもたちには場所や物事にとらわれず、色んな場所、色んな人に出会って、自由に暮らし方を創造して欲しいし、
同時に大人たちも柔軟に暮らしを創造出来ると信じています。
お陰様で、20年くらい乗鞍に帰ってなかったのにも関わらず、「おかえり~」と言ってくれる地元は、本当にありがたいです。
父と母が乗鞍で暮らして作ってくれた土台、
今まで育ててくれた地元の人たちや今も応援してくれる人たち、
一緒にトライ&エラーで粘り強く創り続けてくれるすももメンバー、
そして今私が乗鞍に行ったり来たりすることに平日でも休日でも協力してくれる主人と2人の娘たち。
自由な発想をしつつも、自分がある環境に常に感謝を忘れずに、
これからも活動を続けていきたいです。
すもも荘のこれから
ペンション四季のうた〜ペンション廃業〜すもも荘が始まり〜今、とお話しさせてもらいました。
『これから』については、いろんな変化に対応しつつ、すもも荘を始めた根っこの部分は変わらないという想いで、『変化し、創り続けていくこと』が1番の目標かなと思います。
時代も人も、どんどん変化するものなので、
芯はしっかりもちつつ、しなやかに、心地よく変化していくことがすもも荘らしい。
そんな風にあたたかく見守ってもらえると嬉しいです。
そんなすもも荘なので、何十年先の事とかはまだまだ言語化できないですが、近い将来の目標を立てています。
それだけ紹介して、今回の投稿はおしまいにします。
すもも荘の2023年
今年の目標は、乗鞍やすもも荘の存在をもっと知ってもらうこと
①首都圏、松本市内、岐阜、その他の地方都市から、すもも荘に共感してくれる人を増やして、「乗鞍暮らしを楽しみ、創造的な人々が集まってるらしい」と知ってもらいたいです。
②地域でも活動続けて、子供中心で集まるコミュニティをもっと作っていきたいです。特に中学生とはなかなか普段話せないので、これから地域にどうなってほしいかなどを聞いて、一緒に何か出来たら良いなと思ってます。
地域の子供たちや仲間たちと一緒に、地域の人が楽しめるマルシェ、イベントを定期的に着実にやっていきたいです。
すもも荘の2026年までの3年間
2023年~2026年までの3年間の目標は、乗鞍で暮らしたい人のための居住環境を増やすこと。そして関わる人にとっての心のふるさとになる存在になっていたい
①松本市=山暮らし=乗鞍
となるよう、ハードルの高い山暮らしの第一歩を踏み出すための存在になっていたいです。
②すもも荘らしいコリビングハウスをみんなで創っていく
脳内にあったミックスジュース構想が目の前で実現し、すもも荘らしい「コリビング」の中に、様々な生き方をする老若男女が関わり、乗鞍が心のふるさとになって居てほしい思っています。
長くなりましたが、すもも荘への想いと簡単にこれからについてお話しさせてもらいました。
まだまだ変化していくすもも荘ですが、これからのすもも荘お楽しみに。
読んでいただきありがとうございました。
コリビングハウス&スペース乗鞍すもも荘
大須田淑恵
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