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人生初の大学病院。移動中思わぬ状態に。

救急外来の受け入れ口に到着し
都内の大学病院の
大きさに気後れしながら、

同乗してきてくれた主治医の先が
担当の先生連絡をする。

しばらくして、
大学病院の新しい医師方が
挨拶に来てくれた。

年配のベテラン先生と
若い研修医が数人。

今回も引き続き
アレルギー系の科での入院。

母の主病態は小腸炎。

なのになぜアレルギー科かというと、
成人スチル病という診断もされており
地元の病院では主科(主に担当する診療科)が
リウマチ科だったことから。

そのままリウマチ科としての
転院の調整となったため

小腸の疾患といえども
消化器系の診療科では
ありませんでした。

ストレッチャーで病室へ。
ベッドに移ったらすぐに
一斉に検査が始まりました。

採血や尿検査。
一体何㏄の血液だろうという採血。
大学病院では臨床研究もあるため
入院時の採血で色々と検査するようでした。

看護師や医師たちに囲まれる母。
表情は見えないが
会話するような元気もないよう。
遠くからその様子を眺めていた。

地元から一緒に来てくれた
主治医の先生と共に立ち尽くす。
先生は引き継ぎを終えて、
タクシーで帰って行った。

一通りの状態が整ったところで、
私は医師からの説明のため別室へ。

3人くらいの先生と記録する看護師さん。
先生は現状、病態の全体像を
捉えられていないと。

今まで入院していた病院で
行われていない検査を進めつつ、
対症療法(症状に対する治療)を
行っていくことになりました。

まず開始された治療は、
小腸炎に対する治療よりも
感染症のコントロールでした。

母は敗血症になっていたのです。
朝出発した時点では
少し心拍数が増えていたものの
血圧は維持されていました。

移動中も140くらいは
あったかな。

でも、大学病院に着いて
測った血圧は90台ないくらい。

先生たちにいつから
こんなに血圧低いの?
と聞かれたけれど、
移動中の事実を伝えることしかできず。

敗血症は一見変わっていないようでも
じわじわと全身を蝕み、
気がついたら一瞬でバイタルを崩す。

救急車で移動中に何か起きていたらと
考えるだけでもゾッとした。

敗血症は最近だと有名人もなって
入院したりしているから
聞いたことがある人も
多いのかもしれない。

最近が全身を回って
体のあちこちで悪さする。
それも命に関わるレベルで。

敗血症に対しては抗生剤投与開始、
アルブミンの投与は継続され、
昇圧剤の投与も始まりました。

母の場合は軽いショック状態であり、
点滴を行いつつ血圧安定のために
昇圧剤が使われました。

昇圧剤というのは、
ざっくりと説明すると
血圧を上げる薬です。

様々な要因が重なって、
自分の力では維持できなくなった
血圧を保つように働きます。

敗血症が進行し重症になると
昇圧剤の量も多くなり、
効きにくい状態になることもありますが

幸い母は薬への反応は良く、
少しずつ状態が整っていきました。

母の身の周りのこと、
医師からの説明や看護師からの説明、
同意書の記載や研究関係の説明、
入院手続きなどをしていたら、
あっという間に夜に。

帰る時には外は真っ暗で
20時を回っていました。

あれ?病院着いたの
お昼過ぎだったよな。
と思いながら夜道を帰りました。

翌日は少しゆっくりしてから
面会に行こうと
朝、家でのんびりしていたら、

見たことのない03---からの着信。
ベッドの上でまどろんでいた全身が
一気に覚醒しました。


次回は病院からの電話で知らされた
更なる衝撃についてお話していきます。

読んでくださり
ありがとうございました。




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