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読書感想|『こころ』夏目漱石

#ネタバレ

〇まえがき

読書感想...
とっても苦手なので、投稿しようか迷っていました。
そんなとき「#読書の秋2021」とnoteさんが開催してくれていたので、きっかけとして便乗することにしました。

誰もが知っている
でもちゃんと読んだことのない大作家。
夏目漱石先生。

果たして、読んで私にその良さが分かるのか?
と不安を抱きつつも今年読んでみました。

『こころ』

なぜ『こころ』にしたかというと
好きな漫画『花よりも花の如く』(成田美名子)で葉月とケントの会話に出てきたからです。
はい。すみません。それだけです。

事前に知っていた情報は、三角関係の話、ということだけ。

私が感じたり発見したことは、
今さらなことだったり、見当違いなことかもしれませんが
なにせ高校時代は理系コースクラスに進み、文学についてとんと疎いのでお許しください。(約30年前なので文系でも同じか?...)
温かい目で読んで下さると嬉しいです。

さて、本題。

〇感想

『こころ』
最後の5行で泣きました。
どわぁ~と涙が出てきた。
泣くと思ってなかったので自分でもびっくりです。
小説を読んであんなに泣いたのは初めて。

でもその5行だけ読んでももちろん泣けません。
そこに至るまでを読んでいたから。

実は、読み終えるまで数か月かかりました。
それくらい初めはそんなに興味があったり、めっちゃ面白~いと思ったりしながら読んではいなかったんです。
しかも途中、興味が薄れそうになり、少しでも興味がわくようWebでシンプルなあらすじを読んでしまいました。
そんな検索をしている中で「手紙の部分になったら話が展開してくるのでそれまで我慢」というようなことを書いていた方がいました。

なるほど。先生の手紙が登場するまでは頑張って読んで、そこに到達しても面白く思わなかったらやめよう。と、目標設定。

いざ、手紙の部分になったら読むスピードが加速。
めっちゃ気になる。

そう、それもそのはず。
そこから先生の秘密が明かされるから。

そこですよね、たぶんなんだかんだいって読み進められた理由の一つは。
先生の謎。

前半、主人公である書生の「私」は「先生」の不思議な魅力ともいえる思考の謎を解こうと問答のやりとりをしていく。
これが段々と、読者である自分が「私」と同化していって「先生」の謎の思考を解こうとしている気になってくる。
でも、いつまでもハッキリしないから途中で投げたくなる。で、もう少し頑張ると、ついに手紙で明らかに。

手紙。
そう“手紙”というちょっと距離感のある形式で思考の謎を告白している。
この距離感がちょうどいい。
もうこの頃になると「私」と同化しているので、手紙を読んでいるのはなんだか自分。

結末をあらすじで読んでしまったから、もうハッピーエンドじゃないことは明らか。そういった意味では正直しんどい~と思いながら最後の方は読んでいました。

読後は暗い気持ちになるのは嫌だなと思いつつも、もうゴールが見えていたので覚悟を決めてラストスパート。(あるシーンの描写は苦手だったのでそこだけは文字づらだけ追って軽く飛ばしました)

暗い話ほど明るい陽射しのある時間に読むことにしている私は、ラストを朝に読みました。(暗い話を夜になんて読めないんです)

ほとんど投げやりに読んでいたのに

最後の5行(ひと段落)を読んで、
なんか突如スパンっと「ああ、先生は奥さんを本当に愛していたんだな」と感じた瞬間、号泣。
先生はお嬢さん(=奥さん)が本当に好きだからこそ、Kに対して卑怯な行為をしてしまった。
そして愛した人を汚したくないからこそ真実は隠す。
また、先生が唯一守りたいと思っている奥さんは先生自身の最後の良心(真っ白な自分)でもあり、汚れた自分を嫌悪して生きてきた先生の最後の望みが、残されたひとかけらの純粋な心を守ることだった。
と思ったら切なくて切なくて。泣。

残された最後の純粋なこころ。
それが『こころ』なのかと思ったのでした。

〇あとがき

感想というものになっているかわかりませんが、思ったことを忘れないように書いてみました。
(といっても、読み終えてからかなり日数は経ってますが)

人生歩んでいたら傷だらけ。多かれ少なかれ無傷できれいなだけの人間なんていないですよね。
最後、感想を書いていてちょっとパンドラの箱のようだな。と思いました。
パンドラの箱の最後には「希望」が残されていた。(汚れた人間に残された最後の「純粋なこころ」という意味で自分の中でリンク)
希望を見失わないといいですよね。人生、希望が見えないこともあるけれど、ふと、また見える時が訪れる。
小説では手紙のまま終わっているので、「私」が何とか間に合って「先生」を止めてくれるといいな。と願い、私の中ではそういう結末にしました。

さて、夏目漱石先生は何をテーマに書きたかったのか。と考えた時、「恋した人間」を描きたかったのかな。などと考えてみた。(あれ?逆かな、人間の心を描くのに恋やお金を絡ませた?でもそれはそれで小説全般はそういうものということになるか)

果たして自分が「恋した人間」を描こうとした時、こんな最後の最後で号泣させることができる作品がつくれるのか?
(はい、比べること自体おこがましいです。将棋初心者が竜王に挑戦するかの如く。)

ある作家の方が、先輩作家の渡辺淳一さんに「小説は、ありえない事柄を書いていても根底には普遍の真理を含ませていなければならない」(すみません、うろ覚えなので正確な言葉ではありませんが内容的にこんなこと)と言われたと、note記事で読んだことがあります。

夏目漱石先生の『こころ』はまさしくそういう普遍的な人間のさがを描いた小説。現代のエンターテイメント小説のような派手さはないけれど、そこは純文学。丁寧に積み上げていってじわじわきます。
どんな景色が待っているかわからない山頂を目指して山に登っている気分。

最後の5行で、夏目漱石先生が描きたかったんではないかと思うことを自分なりに体感(モヤモヤしていたのが一気に霧が晴れたかのように繋がってスパーク)したので、意外と読後感は悪くありませんでした。

直後はもう一度読みたい。と思ったんですが日が経つにつれ、やっぱり重い小説ではあるので、また自分の読みたい時期がきたらこの山を登ろうと思うのでした。(最後の方を読むときは心身が安定しているときがいいですね)

つたない文章で感動を全然表現できてませんが、読書は自分の体感、ということで。

最後まで読んで下さりありがとうございます!



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