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『教えること』を始めるハードルの超え方

 プエノスアイレスのミロンガに踊りに行くと、タンゴの先生だらけだ。
アルゼンチンタンゴは特に資格はないので、自分で名乗りさえすれば、今日から先生になれる。
ここに居ると、ほんの数ヶ月前に同じクラスでグループレッスンを受けていた若者が、いつの間にか教える側になっていたりする事が日常茶飯事で驚く。

驚きもあるが、実は感心もする。あの自信、自己肯定力はどこから来るのだろう?

稼ぐ為に習ったのだからそれが当然とか、経済的にしのごの言っていられないとか、それとはまた別の理由なのか。
いずれにしても、日本人にありがちな「きちんとキャリアを積んでから」、「教える自信がついてから」みたいな呑気さと、弱気な感じがないのが、見習いたいくらい立派。

かく言うわたしも、教え始めるまではぐずぐずしていた。
タンゴではなくて、レイキヒーリングクラスの話。

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ぐずぐずを吹っ切れたのは、2つの師匠の教え。

ひとつは、教わった事を活用しないのは、教えてくれた先生に失礼だということ。
師匠はもっと柔らかく「一生懸命に教えたのに、使ってくれないのは残念だわ」と言ったけど、要は、免状を出した師匠を信頼してないのか?という問いだ。これを言われたときは、本当に申し訳ない気持ちになったものだ。

そしてもうひとつは待っている人、クライアントさん、生徒さんがいる。ということ。
わたしがヒーリングの世界にぐいぐい引き寄せられたように、やはり、癒しを必要としている人、学びを必要としている人が居て、ヒーリングを介して前に進んで行く予定になっているのだ。

「ぐずぐずしていると、困っている人がいるよ」とまた別の師匠は言った。

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『教える』一歩を踏み出せたのは、この教えてくれた人と、わたしと出会うはずのクライアントさん、生徒さんが居ることを信じる、という視点を持てるようになったのがきっかけだ。

使う事で、教える事で、学びがより深まるとはよく言うが、まさにそれは本当で、とにかく始めない事には前に進まない。そして、それによって自信は育っていくものだ。

いまはわたしも生徒さんたちには、同じことを伝えていく事にしている。





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