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嫌悪と怒りの手前にあるもの

こんなに続くことなんてあるのかという感じだが、また体調を崩したために、見れば眼球を突き刺そうとする画面を見ることができなかった。八割くらい回復してから、もしかするとぼくは何かを変えなければいけないのかもしれないと思った。それで部屋を掃除するがてらちょっとだけ模様替えをした。北向きの窓の前に長いことすえてあった棚をすこしずらして、もっとも陽の当たるところをからっぽにした。どうして早くこうしなかったんだと、できることなら体調不良で不機嫌になっている自分を引っぱたきたかった。しかし残念なことに、ぼくの体調は頭痛をのぞけばほとんど回復していた。つまりひっぱたけるのは頭だけということになるが、そうすれば頭痛がひどくなるのは目に見えていたのでやめた。いまぼくは、そのふいに空いたスペースに座ってこれを書いている。

人のことを言えた口なのかどうかとか、そういうめんどくさいこと抜きに言わせてもらえばぼくは弟が嫌いだ。悪魔の脳みそを溶かしてそれをちょっと希釈すればできあがりそうな、彼の自己中心的思考が嫌いだ。自分にとって不都合あるいは不愉快なことが起こるたびに露呈する、他人を傷つけることになんの抵抗も抱かない思いやりのなさが嫌いだ。そういうものをずいぶん長いあいだ見てきたからなかなか認識しづらいことではあるが、ぼくの人間一般に対する目によれば彼はけっこう性格が悪いし、もし別の形で出会っていたとしたらぼくは意図的に避けていたにちがいない。つまりはそういう類の人間なのだ。

昨日も彼の嫌な部分を見た。お昼ごろ彼は借りてきた映画を見たいと言った。そのころ母は家の片づけや昼食の準備をしていて、それが終わったら買い物に出かけると言っていた。彼は映画を見るときカーテンを閉めきるのだが、それをされると作業がしづらいということで母は「出かけるまで待ってほしい」と彼に頼んだ。すると弟は一気に機嫌を損ねて、それをあからさまに態度に表しはじめた。問いかけに対する返答はほとんど相手を傷つけようとしているみたいにぶっきらぼうで冷たく、わざとらしい足音をたてて歩いた。母はそれを見てか落ち込んでしまって、しばらくは買い物に出ることができなかった。

母が作ったお昼ごはんを弟とふたりで食べることになった。彼の分もよそっていいかと尋ねると、当たり前だろとでも言いたそうな口調で返事をよこした。食事を用意し席に座ると彼はカーテンを閉めきり、照明を暗くしてDVDを見始めた。その場にはぼくと彼のふたりがいた。同じ空間にいるのだから、もちろんぼくも映画を見ていた。母が台所に何かを取りにきて去った。すると彼はふいに映画をとめ、無言で食べはじめた。ぼくは何も訊くまいと思った。結局一言も言葉を発さぬまま、彼はごはんを食べ終えると食器を片づけて映画を再生した。彼にとって、ぼくはそこにいないみたいだった。

ぼくは普段、だれかが家を出るときには必ず玄関に立って見送るようにしている。でも昨日弟がバイトに行くために出ていくときぼくは見送らなかった。玄関で靴を履いたりカギを手にとっていたりする音は聞こえていたが、ぼくは無視した。そして彼はいってきますとも言わずにドアを乱暴に閉めて出ていった。

彼が出ていってから、ぼくは考えた。ぼくはほんとうのところ、何を感じているんだろう。喉につっかえたままどこにもいかないこの感覚はいったい何なんだろう。しばらく考えて、ぼくは分かった。

ぼくはおそらく彼が嫌いだろう。それはたしかにあると思う。だけどそれよりも前に、ぼくは彼のことを恐れている。映画を勝手にとめられても何も訊かないと決めたのも、いってらっしゃいと声をかけなかったのも、いつか身を以て知ったように、つめたい言葉で刺されるのが恐かったからなのだと気づいた。怒りの一歩手前には、やはり悲しみがあるらしかった。

今までに二、三回、彼の幼稚な態度についてふたりで話し合ったことがある。単なる注意みたいなものではなく、NVCでいうリクエストにあたるようなものだ(NVCは現在勉強中)。自分が相手の行動によってどんな気持ちになっていて、どんなふうにそれを変えてほしいのかを時間をかけて伝えた。それをするにはものすごい勇気が必要だった。もとからして何をするにも勇気をひっぱり出さないといけない性分なので、特別大変な行為だった。そのとき話したことはいずれも、彼の人を傷つけている行動についてだった。それでも悲しいかな、人は忘れる生き物だ。彼は最近、ぼくが伝えたことをすっかり忘れてしまったような態度をとることがよくある。それを注意した日には、自分のことを賢いと思っている彼はきっとこう言うだろう、「自分のやりたいことをやって何が悪いんだ」と。彼には複数人と同じ場所で生活するということがどういうことなのかまるで分かっていないし、そういうものを無視して自分のやりたいように行動することがどれほど思いやりに欠けて人間として浅ましいかがまったく見えていない。いまなおそんな状態の彼にふたたびリクエストをすることが自分にできるのだろうかと考えるが、答えははっきりしない。たぶんぼくに勇気がないんだろう。

家を出ていくことを夢見るようになった。弟はもちろんだが、両親に対しても呑み込みづらい感覚をよく抱くようになった。これが自立心の表れなんだろうかと思う一方で、自立ってこんなに逃避に近いものだったんだろうかと思ったりもする。そしてその自立心がぼくをひどく焦らせる。早く自分ひとりだけで生活できるような社会的基盤がほしいと願うが、現実はそうスムーズに伴ってくれはしない。世界の隅っこで生きているような人間にとってはなおさらだ。それでも落ち着こう、いまはやるべきことをやるときだ。焦るときではないと、ぼくは自分に言い聞かせる。

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