春にして君を離れ

『春にして君を離れ』”Absent in the Spring”は1944年に出版された。アガサ・クリスティといえば誰もが聞いたことがある作家だが、少し違うのだ。

実はクリスティには、”メアリ・ウェストマコット”という名前で出版された作品が6冊ある。この『春にして君を離れ』もその1つである。クリスティといえば推理小説だよね、と思うかもしれないが、いずれの作品にも殺人も探偵も出てこない。

『春にして君を離れ』を最初に読んだのは大学生のときだった。

ジョーンという女性が主人公である。彼女は結婚し自分でも理想の家庭を築いて幸せに暮らしている。優しくて優秀な弁護士の夫、結婚して何の不自由もなく暮らしている良い娘達。娘もお母さんであるジョーンが大好き。完璧な人生後半である。(わたしとは全く異なる道だ・・)

でも、あることをきっかけに、「あれ?ほんとに?」と過去の記憶の断片とかその時の相手の表情などから問いが投げかけられてくる。一つの問いを細い紐をたどるようにそろそろと引っ張っていくと、そのときには見えていなかった違う側面がチラチラと見えそうになる。怖い。

殺人も探偵も出てこないけれど、ある意味、精神的なサスペンスかもしれないと思う。読み終わったとき、「私はこうはなるまい。」と強く強く思ったものだ。ただ思ったからといって、そうできるかはわからない。

それほど、人間の精神はコントロールできないものなのかもしれない。しかし最後のシーンのジェーンを思い巡らせると、やはり最後の一線で踏ん張れるか否かは、大きく目を見開いて、ここを譲ったらわたしは死んでしまう!くらいの自分の堅い意志なのではないか、とも感じるのだ。



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