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結局モノに1銭も使わなかった45歳の誕生日の話

こんにちは。テキサス在住の駐在妻、ユキです。

昨日は、わたくしのお誕生日でした。

夫が有給を取ってくれたので、
アンティークショップ巡りをしたり、
ずっと気になっていた眺めのいいレストラン(料理は普通という噂)に
行ったり、子ども三人連れでは行きづらいところに出かけてきました。

天気がどんよりして雨も降ったし、
さんざんあちこち周っておきながら何にも買わなかったのだけど、

アンティークショップで買い物すること!や
レストランに行くこと!が目的じゃなくて、
「子どもがいるといけないところに行く」
「子どもがいるとできない時間を過ごす」
ことが私の欲しかったもので、
それをプレゼントしてくれた夫に感謝しました。

アンティークショップでは
200年もののダイニングテーブルに出合えたり、
(ホイと買える値段でなかったし、
何より長さが2.7メートルあったので、
どこにおくねん!ってなって買わなかったけど、
す〜〜っごく素敵だった)

レストランの眺めは噂どおり素晴らしく、
料理は噂どおり普通で、
トルティーヤチップスとサルサとか、ハンバーガーとか、
できるだけ無難なメニューを頼んでよかったと思ったり。
いい思い出ができました。


ところで、お誕生日のプレゼントといえば。
娘の通っていた幼稚園@日本の習慣を思い出しました。

日本だと「今月のお誕生日」という形で
月ごとにお誕生日の子が
まとめてお祝いされることが多いと思いますが、
娘の幼稚園では、お誕生日当日にお祝いしてもらっていました。
(アメリカも、当日にお祝いする感じ)

先生お手製の冠をもらって、お写真を撮ってもらって、
クラスのお友だちにハッピーバースデーを歌ってもらう。
降園時に冠を被った子を見かけると、
つい「おめでとう!」と声をかけたものでした。

で、お誕生日の日には
お友だちからプレゼントをもらうそうなのですが、

それが、「言葉」なんです。

褒め言葉、とかそういうのじゃなくて、
「僕は大きなお城をあげるね!」とか、
「私は真っ白い毛の子馬!」とか、
「じゃあ私は、キラキラした水色の宝石をあげる!」とか、
子どもたちがそれぞれの創造力で、
子どもたちが素敵だなと思うものを
ハイって手の上に何かを乗っけるようにしながら、
「プレゼント」するのだそうです。

お友だちが好きそうなものだったり、
自分自身が欲しいものだったり、
大人には思いもつかないようなプレゼントを
たくさん、たくさんもらったことを
娘が幸せそうに話してくれたこと。
今だに、じんわりと温かい気持ちになりながら思い出します。

アメリカにいると、
お金を払えばいいサービスが受けられて、
何事もお金で価値が測られるようなところがあるのだけど。
(かといって日本のように
薄給かつ過剰サービスは問題だと思っていますが)

もちろん、ほしいものはいろいろあるし、
それはお金がなくては買えないのだけど。

せめて子どもが小学校に上がるまでの時期は、
知恵や想像力や感性で、
何もなくても豊かな気持ちになれるような時間を
大切にしたいなあ、と思うのでした。

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