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散文-1(機嫌のいい日)

1週間前の親しい友人の結婚式でもらったブーケは、ラナンキュラスを除いて生きている。スプレー咲きの小さなマーガレット、赤色の大振りのヒペリカム、小さなユーカリの束。

その日は天気のいい11月のある日で、今は年下の男の家からの朝帰りしたところだ。お互いにそこそこ気持ちを持っている相手と身体を交えるとどこか満たされた気持ちになるのは人間の常であるから、なかなか避けるのが難しい。自分がしたくてしているのだから何も傷つくことはない。それも、時と場合と回数と状況によるが。もう、ここまで揺らぐ要素が多いと考えて排除できるものではない事故のようなものだと思う。

まだ先週の花たちは生きているが、花を買い足したいくらいにその日は機嫌が良かった。
馴染みのフラワーショップに足を踏み入れ、好みの香りがする方向に直感的に足を踏み出して行った先に、ブルーローズを見つけた。ローズの香りはクラシックすぎて好みではないのだが、ブルーローズの香りは爽やかで軽やかで風がふわっと吹いてくるようだ。紅茶のような甘い香りだが、決して重くない。顔を近づけて胸いっぱいに吸い込んで、ああ、今日はこの子を連れて帰ろうと笑顔になった。

好意を持った異性から、私はいつも甘い花や果実の香りを感じるようになる。
マグノリアやキンモクセイやチェリーといったとろみのある甘い香りで、おそらく実際にはそのような香りを発する何かを身に纏ってはいないはずだから、私自身が勝手に感じているものだ。
好きになった相手から似た香りを感じるのは、もしや自分がその香りを脳で作り出しているのかもしれない。そうなると私はその香りを蘇生することで自ら幸せになれるのかもしれないとこの文章を入力しながら思った。まるで自分で自分を慰めるあれのように。

朝にまどろみながらするセックスは、夜にするそれとは違う風合いを持つ。
明確に意志を持って私の乳房を包む手と、それに気付いていないふりをしながらも(本当に寝ぼけている時もあるけれど)既に期待していて、すぐその気にさせられる私の単純な身体。夜に交わった後、すぐに二人して寝てしまっていたから私たちは濡れたまま下着も身につけずにいた。そんな状態でつねられたりさすられたりしたら溢れてしまうくらいには単純だ。
朝の光と生き物が起き始める気配を感じながら抱き合う。擦り合わせ、抱きしめ合い、一つになりたいと思い、満ちていく。射精前に男が自分を果たすためだけに私を使う瞬間がとても愛しい。本能であったとしても、その瞬間は可愛い愛おしい何かに見える。錯覚だとしても。というか、錯覚なのだけれど。本能と心は遠く離れたところにいるから。

そんなことを考えながら花を買う、贅沢で秘め事のような行為。
そしてその花を家に飾ろうとする私は趣味がいいのか死ぬほどの悪趣味なのかどちらが近いだろう。1週間ほどで枯れてしまうことが悲しいような、けれどそれくらいでいてくれないと思い出で噎せ返ってしまうような気もするから、自己中心的に考えると世の中はうまくできている。

そして、バスに乗る。
バスに乗って家に帰る。そのバスの道中で、私は私に返っていくのだと思う。
抱えた紙袋からはブルーローズの爽やかではあるけれど密度の濃い(もはや私にとってはいやらしい)香りを発しているから、まだ心の半分はまだ夢見心地なのかもしれない。

そして、私は知っているのだ。この気持ちになる期間は長くは続かない。その先の思考回路やパターンが分かってきてしまったことは、傷つきにくくなるけれどどこか寂しいことでもある。一方で、だからこそ今こうして思える瞬間は貴重で美しいとも感じることができる。

何にせよ今日は天気がいい。天気がいい日に秘めたる花を抱えて帰るのはとてもご機嫌で居られることの秘訣である。

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