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頑張るを知る。

とにかく勉強も運動も出来ない私を両親が心配し、
ピアノと町の小さな私塾とスイミングスクールに通うことになった。

ピアノは全く才能がなく、上達も遅かった。
レッスンそっちのけで空想を始めるため、途中でやめてしまった。

けれど、最後に1回だけ発表会に出て、課題曲を弾いた。たしか、軽やかなワルツのような舞踊曲だったと思う。その時はかなり緊張していたけれど、深呼吸をしたら集中出来て、全てを弾くことが出来た。親はとても喜び、ことあるごとに発表会の時の私を「堂々としていた。」と褒めてくれた。

スイミングスクールも嫌々通っていたけれど、バタフライまで泳げるようになった。バタ足も出来ず、万年落ちこぼれだった自分が、急に飛び級の勢いで級を上げていくのが恥ずかしくて、帽子の級の印を裏返して隠していた。

水泳のおかげで肺活量も上がり、呼吸が楽になったおかげでマラソンまで速くなった。虚弱体質から脱却出来たのは、水泳のおかげだと思う。

塾も個性的だが有名大学卒の熱血先生のおかげで、勉強は相変わらず楽しくなかったけれど成績は上がっていった。

小学生低学年までは、成績表はほとんど「がんばろう」で、2つだけ「できました」くらい。低学年では先生も甘めに採点するだろうに散々な成績だった。けれど、こちらも徐々に上がっていき、「勉強が出来る」。気がついたら優等生にまでなっていた。

しかしまだその時の私は目立つことを極端に恐れていた。「悪目立ち」したくなかったのだと思う。

万年落ちこぼれだったのは、元々不器用な性格故に自分の中で「やり方」が分からず、かと言って、コミュニケーション不全のため誰にも聴けなかったからだと思う。そんな自分がいきなり目立つことに抵抗があった。

ただ、1度プロにコツを教えてもらえば、自分の力でも出来るようになるのだ。ということを理解した。

結果が出て、それを少しずつ積み上げていき、少し自分に自信を持てるようになった。

好きな読書やイラストは、頼まれなくても毎日家で熱心に取り組んでいたのに、それ以外には全く見向きもしなかった自分は、あの時初めて努力することを学んだように思う。

教えていただいた先生たちにはとても感謝している。

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