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その後の生き方は難しくありませんでしたか。田部井淳子さん/5days to 彼女たちの山

【5days to 彼女たちの山】
2023年3月14日に出版した『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(柏澄子著、山と溪谷社刊)を紹介するシリーズです。
出版前に20日間かけてSNSなどで拙著に登場する女性たちを紹介したものを、ここに再録します。

今回ご紹介するのは、1章に登場いただいた田部井淳子さんです。
冒頭にある彼女に向けた問い、「その後の生き方は難しくありませんでしたか」は、長年ずっと気になりながら、言いだせずにいたものです。「その後」とは、1975年(昭和50年)のエベレスト女性初登頂のことです。

大きなタイトルを背負い、どう生きてきたのか。

田部井さんを喪ったあと、私は恥ずかしいほど泣いてばかりでした。亡くなった報道があった晩、ある新聞社からの電話インタビューにはなんとか答えたけれど(それは横に友人の編集者がいてくれたから)、その後の取材では涙ぐんでばかり。亡くなった2年後に息子の進也さんに関して、朝日新聞にインタビューを受けた時ですら、涙が出てきて……浜田記者を困らせました。
少人数で集まった追悼の食事会でも、挨拶の時に泣いて話せなくなり、隣の席だった夫の政伸さんになぐさめられるという始末です。

田部井さんと最後に会ったのは、入院先の病室です。
これが最後とわかっていましたが、翌年の正月山行の話をし、「じゃ、また来ます」と手を振って病室を出たことを、涙もろい自分にしてはよくやったと自分で自分を褒めていたのですが、その反動がきたか……。
田部井さんとの出会いと別れを、ちゃんと血肉にできていないのだと思います。

ヤマケイ連載の時は、もっとも大切なひとりをインタビューできないままでしたが、本書を書く前には話を聞くことができました。娘の教子さんです。
ほかにも、ご家族はもちろん、田部井さんの親友の北村節子さん、片腕だった吉田三菜子さん、田部井さんの11日後に登頂したパンドゥと通訳の須崎孝子さん、、、母校昭和女子大理事長の坂東眞理子さん、田部井さんがずっとかわいがっていた山田淳さんなど大勢の方々に登場いただきました。

ある登山家の方から電話がありました。写真提供やインタビューなど大きな協力をいただいており、見本を送ったところ、一晩で読んでくれたそうです。
嬉しい感想、励みになるコメントを沢山聞かせてくれました。田部井さんの項についても、感想を聞かせてくれました。とてもありがたいです。

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)https://www.yamakei.co.jp/products/2821172050.html

一般社団法人田部井淳子基金→コチラ

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