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人は人に救われる。だから生きていられるんだ

先週、5年ぶりに海外に行ってきました。
日本からの連絡は基本的に見ず、目に入ってもスルーしたおかげで、気持ちが本当に休まった期間になりました。

もし何かに疲れている人がいれば、とりあえず携帯を機内モードにすることをオススメします。

人に囲まれる面倒と、独りぼっちの面倒と

東京で色んな人に囲まれて、色んなことに取り組む自分。
その自分を客観視し、その異常さに少し嫌気を感じ、もう一度自分を見つめなおすことにしました。
そんな柄にもないことをしようと思ったぐらい、気持ちがガラッと変わっていたのでしょう。

かつ、知らない場所で知らない人と知らない言葉に囲まれていたことがすごく楽で、その孤独感が少し気持ちよかったのだと思います。

でも、孤独感は、真の意味を僕にもたらしていました。
独りぼっちの虚しさを確かに与えていたのです。

余計なことを気にしなくて済む一方で、何をしても何を言っても反応してくれる人はいない。
そりゃそうだ。言語が違うんだから。
次第に、「僕のことなんて誰も気にしちゃいない」なんて気持ちも芽生え始めていました。

人に囲まれていることに嫌気がさしているくせに、いざ一人になったら虚無感で埋め尽くされる。
そんな面倒な感情と向き合うことが、次第に面倒になっていたのです。

人は人に救われる

でも、そんな感情は、日本に帰ってきてすぐに吹き飛んだ。

会社の同僚、一緒に取材に行くライターさんやカメラマンさん、一緒にプロジェクトを進める人たち、学生時代の友達。
今自分の周りにいてくれる人たちの存在に改めて気付きました。

僕はこういう人たちに囲まれて生きていたんだ」と。

少なくとも、僕に対して何かを期待してくれていて、それを楽しみに接してくれている。
自分が今できていることは、この人たちの存在なくしてありえない。

そんな当たり前のことに気付かず日々を過ごしていたことを反省しつつ、その事実が本当にありがたく感じました。

僕は独りなんかじゃなかった。
僕の周りには、笑顔でいてほしい人たちがたくさんいた。

人に救われて生きてきたことに、感謝を抱いた瞬間でした。

だから自分は生きていられる

そんな自分も、そういう対象でありたい。
だって、そのおかげで自分は生きていられるから。

何かの偶然で、時間をともにする人たち。
その姿を無視して、自分のために生きるなんてことは絶対にできません。

幸せにしたいなんて言うのはおこがましいけれど、その一助になれればそれ以上の幸せはない。

自分のためにしたことは、満足していずれ忘れる。
でも、誰かのためにしたことや、自分のためにしてくれたことは、絶対消えない。
倍以上で返ってくるはずだから、人に救われながら生きていこうと改めて感じた出来事でした。

絶望の時代で分かってるんだよ
愛だけじゃ世界は救えないことも
そう でも
愛で救われた事実を
人は忘れられないんだ

Roots/UVERworld

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