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明日も「生きたい」と思える社会をつくる

年末あたりから、「自分の目標やビジョンを再設定しよう」とあれこれ考えていました。

それまでのビジョンは「前向きな世界をつくる」だったのですが、もう少し解像度を上げたものにしたいなーと思った次第です。

自分の過去やその時抱いた感情などを振り返り、”今のところ”この言葉にたどり着きました。

明日も「生きたい」と思える社会をつくる

寝るのが怖くなった、明日が来るから

「生きたい」という言葉を使っているわけなので、当然その裏には「死」があります。
そこに至った原体験について書いていきます。

まずは、2018年2月。今からちょうど2年前です。
当時、建設現場で現場監督をしていたのですが、正直に言うとメンタルがぶっ壊れていました。

一緒に現場に入った上司との関係が良くなく、現場でも事務所でもあることないこと言われるように。
「お前この仕事向いてないよ」「お前を採用したうちの会社はアホだな」など、このような言葉を一日数時間も浴びせられる毎日。
現場に入ったときはそうでもなかったのですが、日に日にエスカレートしていき、それに伴って僕も耐え切れなくなっていったのです。

人と話すのが怖くなり、人の顔を見るのが怖くなり、何かに怯えながら毎日を過ごしていました。

最終的には、自ら本社にSOSを出して現場を離れることになったのですが、その直前は本当にメンタルが破壊されていました。
笑うことも怒ることも許されなかったので感情がなくなっていたし、休みの日に自転車に乗っているだけで涙が止まらなくなったし、しまいには仕事に行くことが恐怖になっていったのです。

すると、朝起きるのが怖くなる。だって、仕事が始まるから。
そして、夜寝るのが怖くなる。だって、起きたら明日が来るから。

そうやって、生きること自体が怖くなっていたのでした。

この出来事から、僕は「あんな恐怖は味わいたくない」と思い、また、「本来人を幸せにするはずの仕事で、苦しめられる人がいてはならない」と思い、そこから別の方向に足を進めることにしました。

全くの未経験でしたが、編集者としてメディアの世界に飛び込み、「メッセージを伝える」ことを仕事にしました。
その理由は明確で、「仕事に希望を持ってほしい」ということ、ひいては「明日も生きたいと思えるメッセージをしたい」というものです。

僕自身が「明日も生きたい」と思えたのは、他でもないメディアの存在だったし、たまたま見た記事に勇気をもらえたから。
そうやって、一度は生きる希望を失った僕が救われたからこそ、同じ思いをしている人の力になりたい、と思ったのです。

頑張った先の姿がこれ?

ここまでは自分自身の経験でしたが、ここからは自分が見たものから感じたことについて。

幸いなことに、メディアの世界に飛び込んだ2018年7月から、出会いが本当に増えました。
人の話を聞きに行くのが仕事、という側面があるのはもちろんですが、自分が誇りを持てる仕事に出会えたし、自分に誇りも持てると他人のそういう部分にも気付きやすくなったし。

だから、イベントなどで出会って、Facebookを交換した人の投稿を見るのが楽しみの一つになっていますし、再度会って話すことも大きな楽しみの一つです。

でも、ほんの一部ではあるものの、社会のダークな部分も見てしまった気がして。

体調を崩して仕事を長期間休まざるをえなくなった人が案外多い。
イキイキとした顔をして、「この人を見てると楽しいなー」と思った人に限ってそうなってしまっている。

もちろん、自己管理も原因の一つであるとは思いますが、それが全てではない気がしていて。
人間のキャパを超えた要求、本来必要のないプレッシャーなど、外的要因もきっとあるはずです。

さらに言うと、「自己管理でしょ」と片づける人とは僕は仲良くなれる気がしません。
どんな人にだって不調なときはあるし、生まれつき体の弱い人だってたくさんいるし、運動できない体になってしまった人だって。
自分が何一つ不自由ない体だからといって、それを他人に押し付けるのは間違っていると思います。

話を戻しますが、「仕事に苦しめられている」「社会に生きる希望を吸い取られている」人は過去の僕だけじゃなかったんだなーと感じた一年でした。
その人は、意外にも僕の身近にも居たことが結構ショックでした。

本来、仕事は人を幸せにするもの。でも、その本人が不幸になっている。
2年前に僕が僕の目でみた世界が、僕の知らないところでも繰り広げられているとわかってしまったのです。

その中には、僕よりも年上の方もまあまあいらっしゃったので、「この長い人生で、今から頑張った先の姿がこれ?」と思ってしまい、数年後・数十年後の自分への希望が薄れていったような出来事でした。

「死」を選ぶのが最も効率的

ここまでの話をまとめると、要するに「死ぬのが一番楽だな」と思ってしまったわけです。

何の罪もない人が一部のエゴによってつぶされていく社会だし、足を踏み出して輝いている人に限って闇に落とされていく。
それを知って、「いくら頑張ったってバカを見るだけだ」「願っても叶わないことにはもう出会いたくない」と感じてしまいました。

これらの感情を抱かない最も効率的な方法は「死」です。
死んでしまえば、目の前の暗い現実を見なくていいし、余計なことを感じなくてもいいし。

こんな感情にさいなまれ続けた2019年下半期は、結構しんどかったです。
今振り返ると笑い話なんですけどね。

明日を生きる理由を与えてくれる人たち

2020年、こうして僕は元気に生きています。
別に死ぬ気もありません。

生きている以上、常に死と隣り合わせですが、その危険性からはなるべく遠いところで生きていきたいと思っています。

今、下田市に移住をしていて、仕事時間もそれ以外の時間も一人で過ごす時間が圧倒的に多いです。
結構孤独を感じてしまいます。

だからこそ、自分がのめりこめるものがあることは幸せだし、友人や仕事仲間とやり取りしていると気が紛れるし、人と会って話すと自分が肯定された気分になるし。

大げさかもしれませんが、何気ない会話だけでも救われた気分になります。
「この人らと面白いことやりたい」と思えるし、「連絡くれた友達と今度会いたい」と思えます。

言うならば、明日を生きる理由が見つかっているのです。
人に囲まれるのが当たり前だった東京を離れ、人に囲まれないことが当たり前になった生活を経て、その感情が一層強くなったように思います。

明日も「生きたい」と思える社会をつくる

ここまで取り留めもない話をしてきましたが、僕が現段階で掲げたビジョンについて書いていきます。

一言でいうと、この社会には、「生きる」を阻害する要因が多い気がするんですね。
人間関係をはじめとして、間違った情報知られていない情報、変な固定観念などなど。

人間は、起きてから寝るまで基本的に消耗しているし、生きている以上誰もが確実に死に向かっています。
でも、それを助長するようなものはあってはならないし、生きている時間はせめて明日を楽しみに生きたいものです。

だから、僕は明日も「生きたい」と思える社会をつくりたいと思いました。
目に見えない不条理を紐解いて、人を苦しめるものを取っ払って、明日が少しでも楽しみになるように。

以下、この先やっていきたいことの一例です。
まだフワッとしている部分は多いですが、自分の言語化のためにも書いてみます。

・ストーリーテラー

言葉は、人を一つの方向にも向かわせるし、バラバラにもさせる。人を幸せにもするし不幸にもする。
ただ伝えるだけでなく、一本筋で通った言葉を発することで、受け取った人の迷いを減らしていけるものだと考えています。
また、僕自身が「メディアは人を救う」をモットーに掲げているので、たった一人を救える一本筋の通った言葉を発せられる人になっていきたいです。

・経営者の良き相談者

これまでの話と一見関係ないようですが、結構関連しています。

あくまで僕の持論ですが、企業の課題や問題は、深堀りしていくと「経営」に行きつくと考えています。
なぜなら、すべての企業活動は経営に結びついているので、何かエラーが出たときは経営に根本原因があるような気がしています。

たとえば、「人手が少ないから従業員に負荷がかかっている」という課題があったとして、その理由は「人が少ないから」ではなく「人が少ない状況に陥っているから」と考えることができます。
その理由が「キャパを超えた仕事を受注するから」だとしたら、さらに「受注する基準を決めていないから」と深堀りすることもできます。
では、「なぜ基準を決めていないのか?」と考えると、「目標利益率を決めていないから」と結論づけられるかもしれません。
(もう少し深堀ると、「会社の会計情報を正確に把握していないから」に達するかもしれませんね)

これを解決せずして企業活動を進めていると、仕事のための仕事が増えていき、「忙しい」が先行してしまい、喜びよりも不満が勝っていき、結果的に心身ともに不調をきたしてしまう。
なんてことも起こりかねません。

ですが、経営者はそんなこと全て考えているヒマはありません。
ものすごいスピードで先を見すえて行動しているので、脳裏ではわかっていながらも前を見て進むことしかできない、なんてことが意外と多い気がしています。

前職時代(編集者)に150社ぐらいの経営者の話を聞かせてもらいましたし、今も役員として経営者のそばで仕事をしています。
経営者は結構孤独なのです。

だから、そんな強くも孤独な人に寄り添って、現状を紐解いて整理し、企業活動をまっすぐに進められるように。
それが、仕事に苦しむ人を減らす方法であり、仕事に喜ぶ人を増やす方法だと考えています。

・健康関連の事業(or活動)

生きる以上、死をなるべく遠ざける以上、自分の体と向き合うのは必須だと思っています。
食べることは健康になることだし、睡眠、運動も健康な生活には欠かすことはできません。

また、メンタルの状態も自分の健康に直結するものなので、いかにメンタルを良好に保つかも案外重要な要素です。

面白い話なのですが、一社目のときに、月に1回ぐらい産業医にお世話になっていました。
ちょくちょく風邪を引いていたので、業務時間内で社内の診療室に行っていたのです。

正直な話、「仕事さぼれるラッキー」と思っていたところもあり、その心中を産業医は見逃しませんでした。

「君、仕事楽しくないでしょ?仕事を嫌々やってる人はよく体調崩すんだよ」

図星でしたし、仕事を変えた1年半前くらいから、体調を崩すことが圧倒的に減りました。
だから、メンタルの状態が健康状態を決めるというのは本当でした。

先述したとおり、生きている限り着実に死に向かっているので、自ら死を近づけることはあってはならないと思っています。
でも、健康に関心がない人も案外多いですし、知らないが故に気付かず不健康な食生活をしているとも感じています。
無知のときの僕がまさにそれでした。

でも、せっかく生きてんだったら、そんなもったいないことしちゃいけないと思うんです。
挑戦できること、与えられることがたくさんあるのに、知らないうちに自分のポテンシャルを下げちゃうなんて本当にもったいない。

明日も生きたいと思うためには、明日もちゃんと生きられる体でないといけない。
だから、自分の体、自分の頭、自分の心とちゃんと向き合えるようなことをやりたいと考えています。

具体的に何をやるかは決めていませんが、まずは意志表明ということで書いてみました。

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「生きてたらそのうちいいことあるって」は、僕は本当だと思っています。
たとえ目の前に暗い現実しかなくても、その外には明るい未来がたくさんあります。

それを掴んでほしいし、それを掴めるような状態を作っていきたい。

僕も、明日を楽しみに生きたいから。

ねぇBaby
この世界はまだ汚れて見えるけど
やっぱり僕は生まれてこれて
幸せだと思ってるよ
ねぇBaby
約束しよう
世界は素敵だからまだ死にたくない
そう言えるまで
僕たちは生きていこう

Ø choir / UVERworld


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