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『ハンチバック』を読んで感じる世界の見え方の歪み

 『ハンチバック』という作品を読む前は、もっと社会的な小説なのではないか?と想像していた。けれど、読んでみたら想像を越えて下世話な話だった。

 今、自分が生きている世界は健常者向けにできている。いくらバリアフリーが進んだ部分があると言っても、そもそもの世界が健常者を中心に設計されているから小数の人に向けては作られていない。紙の本を読むといった行為も簡単にはできない。

 生活の大半が病室や家といった室内が中心になる。オンラインで授業や仕事ができるようになった今ならともかく、それ以前はどれだけ生活に不便があったのか?ただ生活の描写を読んでいるだけで、気付かされる瞬間がある。健常者である私と、作者との間には世界の見え方において大きな隔たりがある。普段、生活を送っている中では気付けないものを気付かされた。自分の生きている世界が気がつけば健常者として歪んでたのだと初めて実感できた。
 けれど、それを性をテーマにして思い知らされるか、というのは意外だった。インタビューを読んだ時に、親が悲しんだという意味が作品を読んでわかった気もした。

 健常者がなかなか踏み込むことができない、「障がい者の性」というテーマを書いたからこそ『ハンチバック』が受賞したのかもしれない。もし、他の作品が受賞したとしても、きっとニュースやSNSなどでそれほど話題になることはなかった気がする。スペキュラティブデザインという存在が世の中に問いを投げかけるように、作者が抱いた強い違和感を社会に投げかける作品だ。

 この作品の1番の強さは絶対にこの作者にしか書けない作品だということな気がする。彼女自身の物語を切り離しては語れないからこそ、込められた思いの強さをひしひしと感じる。普通の人には書くことのできない境地だ。芥川賞を今まで障害を持った方がいない中で彼女が受賞したことで、何かが変わるのではないか?そんなふうに考えさせられた作品だった。芥川賞という賞の社会的意義も感じさせられた。

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