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赤ちゃんをお迎えしたい日記ー第三者に肯定してもらえるってこんなに嬉しい

通っている不妊治療クリニックの提携のカウンセリング。
夫婦別々や、一緒にこれまで数回利用してきたけど、
とても、良いのです。
毎周期、だめだった場合は受けようと決めていたので
今回も予約してオンラインで話を聞いてもらった。

内容は、前回書いた、私たちの周囲から突然向けられる言葉への
2人の受け止め方の違いや、
体外受精にステップアップしてだめだった時の心のもちようについて。

特に心に残ったのは、
「不妊治療をしたことがない人にとって、治療をしている人の気持ちって
本当に分からない」ということ。

そうか、そうなのか・・・と思った。最近はニュースでも
頻繁に取り上げられるようになってきた話題だし、皆にとってもっと身近なテーマだと思っていた。でもどうやら違うみたい。
他人に言われてはっとした。
自然に妊娠した人たちにとって、不妊治療をする人がどんな苦労をしたり
どんな複雑な感情でいるかは、たぶん聞いたことない多文化の話ぐらいに
分からないのだ。

そう考えると、親戚の「びっくりした・・・」発言や
友人の「子作りがんばれ!」というライトな声かけの理由が腑に落ちる。

でも、言われて嫌だと思う気持ちも当然です、と肯定してもらえた。
だから、言われて嫌なことばって自分にとって何だろう?と考えたり、
言われた時にむき身のままグサッとさされないように、
「ハイハイ」と流せる体制を取ったり、「嫌だ」と伝えたり、
対処法をいくつか考えておくといいですね、と言われた。

翻って、夫。
そもそも私はある意味、「この人には私の状態を知ってほしいな」と思う人に対してだけ不妊治療中だと打ち明け、それでも意外な反応が返ってきて
ショック、感電!という感じだが、
彼は会社の上司1人以外誰にも治療のことを話していない。
それは元々、自分の今の悩みやプライベートなことを人に話さない性格だから、と言っていたけど、
「人に言いたくない気持ちって、どういうところから来ますか?」というカウンセラーさんの問いかけに対して、私たち2人とも
ううむ・・・・と考えこんでしまった。

私は、特に男の人に対して、性的なものを連想させる不妊治療というワードはなるべく話したくない。
女性の友人だと、「今大変で」という状態を伝えたり、会う約束をしているのに具合があんまり良くないことを説明するために話したり、と色々。でもカジュアルに言うわけではない。

カウンセラーさんは夫のやり方について、「思わぬ矢が飛んでこないために、言わないことも立派な自衛です」と言ってくれた上で、
「不妊治療は、こどもを持ちたいと思う、とても自然で尊い気持ちを持ってやっていること。一つも恥ずかしいことなんてないんですよ」と
強く言っていた。

確かにそうだ、と思う一方で、
私は子どもが欲しいと思う気持ちを過度に尊いと思ったり、自然だと思いたくないんだな、と感じた。

子どもが欲しくない人も当然いるし、
子どもを作る気がないことに風当たりが強い社会はものすごくおかしいと思っている。

もしかしたら将来、私は子どもを授からないかもしれない。
その時、「子どもを作りたいと思う尊さ」に頼っていたら、諦める自分を否定してしまうような気もして
怖いのもある。

今がんばっている自分は、人より子どもができにくい体質だから
医療に頼っている。
でも子どもが欲しいのは、尊いことという意識はあまりなくて、
単純に大好きな夫との子どもがほしいなあ、と思うから。
街行く赤ちゃんはかわいいなあ、と思うから。
家族が増えたら楽しいだろうな、と思うから。
それだけ。

いまはまだ、誰にでも「治療してるよ!」ってカジュアルに言える気持ちではない。自分を肯定したいと思いつつ、
自然にできないことにモヤモヤするし、大変すぎることだから。

でもいつか、この治療が私の大切な経験の一つになって、
夫との絆がさらに深まる道になって、
また自分をつくる大事な要素になったらいいな、と思う。

どんな苦労も、やらねばならんのなら、死なない限り
自分の糧になる。
と、思いたい。

次は体外受精に向けてアドバイスされた「傾向と対策」作りについて書きます~


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