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『菊と刀』──現代まで受け継がれている日本文化の型とは

『菊と刀』を読んだ。アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが日本の文化の型を分析した本で、1946年に刊行された。

ここ半年くらいは色んな国の文学や教養系の本を読むことが多かった。日本以外の各地域について読むにつれて、じゃあこれって日本ではどうなんだろうと考えることがあり、「日本っぽさ」を海外から考察した古典である本書を手に取った。

書かれたのが戦後まもなくと、もう70年以上前なので共感よりは昔はこういう習慣だったんだなあ、と客観的な気持ちになりがちだった。いっぽうで現代まで根付いていると感じた価値観もたびたびある。

恥の文化

現代に受け継がれていると感じたひとつは、有名な言説である「恥の文化」に関することだ。

明治以前は、ある人が誰かからひどく恥を受けたと感じると、復讐によってその恥を晴らすことができた。しかし近代以降になると法が機能しはじめて、個人による仇討ちは禁止される。すると、行き場を失った恥の感情はどこへ向かうか。自分自身に向かうのである。

近代以降では、自身に向かう恥を受け止める方法はおもに二つある。ひとつが恥から生まれた攻撃性で自分を駆り立て、不可能なことを達成するための動機として使うことだ。漫画やドラマでよく見るパターン。

もうひとつは、恥から生まれた攻撃性が自分自身の心を責めさいなむに任せることだ。現実ではこっちの方が多いんじゃないかなーと思う。

恥を感じないためには、名誉を保つことが重要課題であるという。個人的には名誉というより、自尊心やプライドの方が感覚として近い気もする。

また、今いる道と違う道の方が名誉を保つことができると思えば、あっさりと方向転換できる。いっぽう西洋では、名誉よりイデオロギーを守ることが重要である。だから、西洋ではイデオロギーについて信念を貫こうとするが、日本では方針を変えない道徳的な必要性がない。

そして日本では、名誉を保つために「世界からどう見られているか」という観点を重要視している。

ここ数年の体感的に、分かる〜となった。近年テレビで「日本スゴイ」系の番組が増えた(最近はちょっと落ち着いたかな?)のって、アジアの国々が台頭してきて世界の中で日本の立ち位置がぐらついているからだよなと。見せかけのスゴイで自尊心を保っている。

あと自分が「日本っぽさ」を知るための本として『菊と刀』を手に取ったのだって、よく名前を聞くからという理由のほかに「海外から見た日本っぽさが気になるから」というのがある。日本を分析した色んな本がある中で『菊と刀』を選びとった時点で、世界からどう見られているかを気にする言説を自分が実践している・・・。

自重の文化

「自重の文化」であることも、現代に見受けられる。

自重することは、自分は慎重な人だと周りに示すために重要視されているという。子供のころから、礼儀作法を守って人の期待に応えるようにという意味を込めて「自重しなさい」「慎重になりなさい」と教えられる。

これはまさに今実感できることだ。出かけるときは必ずマスクをする。コロナが流行しはじめてしばらくは、罰則があるわけでもないのにみんな外出を控えていた。さらに自分が自重するだけでなく他人にも期待し、ときには強要する。自粛警察なんて言葉も記憶に新しい。

とはいえ今ではもう普通に外出する感じになっているのを考えると、補償も罰則もなく個人で活動を制限するのは限界があるのが分かる。ていうか自粛ってほとんど自重の言い換えに過ぎないような。

おわりに

訳者のあとがきによると、1957年に『菊と刀』が高校の国語の教科書に採用されたという。本書に関する当時の教育における共通認識として、そのときの教員用指導書の要約が載っていた。

その中で良いと思った言葉が、「戦時に敵をくそみそにこきおろすことはたやすいが、敵が人生をどんなふうに見ているかということを、敵自身の目を通して見ることははるかにむずかしい仕事である」というものだ。

これは戦時中にアメリカが日本の文化研究を通して、日本人の習慣を日本人の目線から理解したことを指している。しかし安易に敵を設定して攻撃しがちな現代において、普遍的で重要な心がまえだと思う。

自分は本書のタイトルだけ学校の授業かどこかで聞いた覚えがあり、なんだか難しそうなイメージがあったが、わりと平易な文章で読みやすかった。注釈も懇切丁寧についている。日本人っぽさってなんだろうと考えたい人や、戦前の日本人の性質について知りたい人におすすめの一冊だ。







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