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『銃・病原菌・鉄』──世界の格差はどこから発生したのか

世界の歴史をたどると、富とパワーが世界各国に平等に分配されていたことはなく、つねに少数の地域に集中していた。現代では、アメリカや欧州、中国がリードしている状態が当たり前になっていて、現状に疑問を持つことはあまりない。

しかし、考えてみると不思議である。世界の富は、なぜ今あるかたちで集まっているのだろうか。中世あたりに存在した技術や社会構造の格差が、現代まで続いているから、と思うかもしれない。鉄鋼製の武器を持ったヨーロッパの帝国は、石器や木器で戦う先住民族に容易に打ち勝つことができた。しかし、なぜ中世の地点で技術の発展に偏りがあったのかという疑問は残る。

過去にはヨーロッパの人々が、アメリカ先住民やオーストラリア先住民を虐殺して土地を征服した。しかし、なぜその逆は起こらなかったのか。アメリカ先住民やアボリジニの人々がヨーロッパの人々を虐殺して征服する可能性はなかったのだろうか。

本書は、現代世界までつづく不均衡がなぜ起こったのかという疑問を投げかけ、先史時代までさかのぼって歴史を振り返ることで原因を探ってゆく。


上下巻合わせて1000ページ近くにもおよぶ考察の結果をあえて一言でまとめるならば、「大陸ごとの自然環境の差異。つまり偶然。」だといえるだろう。

先史時代を通じて、人類は食糧生産のすべを身につけたが、始まった時期は地域によってちがう。ある地域では、栽培に適した野生種が群生していたり、家畜化に適した野生動物が多くいた。かたや別の地域では、栽培が難しい植物ばかりで食糧生産は狩猟採取よりコスパが悪い行為だったし、家畜化できるような野生動物も生息していなかった。

運よく(富やパワーがあることをよしとするならば)栽培ができる肥沃な地域に暮らしていた人は、食糧生産をはじめると固定の場所に定住するようになる。そして生産によって余剰食料ができると、貯蔵ができるようになる。貯蔵ができるようになると、直接食糧生産には関わらない人も養えるようになる。そうして人口の緻密な社会が形成されるのだ。


ある地域で食糧生産がはじまると、他の地域にその方法が伝播していく。しかし、伝播の速度においても自然環境の差異が影響する。

東西の方向に横長であるユーラシア大陸では早く伝播していったのに対して、南北に広いアメリカ大陸やアフリカ大陸では、とてもゆっくり伝播していった。東西に広がる大陸は緯度が同じであるため、日の長さの変化や季節の移り変わりに大差がない。だから、伝播した農作物が障壁なく育つことができる。いっぽう南北に広がる大陸では緯度が異なるため、地域によって日照時間や気温が違っていた。だから、農作物や家畜が伝わってきてもうまく育たなかったのである。


また、入植によってヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌で犠牲になった先住民の数は、彼らの銃や鉄鋼製の武器によって犠牲になった数よりはるかに多かったという。しかし、ここでも疑問がうまれる。なぜ、逆のことは起こらなかったのだろうか。先住民が持っている病原菌で大量のヨーロッパ人が犠牲にならなかったのはなぜか?

この疑問に答えるには、人口密度の差がカギとなる。狩猟採集民はひとつの場所にとどまらないため、病原菌が含まれる自分たちの排泄物に近寄ることはない。家畜を飼育していないため、動物からうつされることもない。いっぽう、定住して農耕を営む人々は、排泄物を肥料として使ったり、都市に密集して住むことでつねに病原菌にさらされていた。結果、長い時間をかけて病原菌に免疫を持つようになったのだ。


国ごとの差異の話になると、勤勉だから、好奇心旺盛だからというような生物的な側面に結論を見出しがちだ。自分が大学生のとき、ゼミで各国を比較する(なんの比較かは忘れた)講義で「国民性の違い」だと発言したことがあったが、今思うとなんて無責任で軽薄な言葉だろうと恥ずかしくなる。

本書は生物的な面ではなく、自然環境の差によって生じた格差が現代まで続いているのだと一蹴してくれる。内容をジャンル分けするならば人類史で、ハラリ著の『サピエンス全史』に近いものを感じた。というより、年代的にサピエンス全史が本書に近いと言ったほうが正しいか。

著者のジャレド・ダイアモンドはアメリカ人だが、欧米を主軸に置かずに、ニューギニアをはじめとする先住民族の側に立って歴史を紐といてゆくスタイルが珍しい。『サピエンス全史』で人類史に興味を持った人の次の一冊としてもオススメだ。


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